覚王寺だより
  第18号
  平成19年3月18日
 
■■■■ 坐禅会会員の声 ■■■■
 平成12年8月にスタートした覚王寺の坐禅会も、早6年半を経過しました。
 開始からしばらくの間は参加者も少なく、活発とは言い難い状況が続きましたが、常陽新聞に坐禅会の様子が掲載
されたり、インターネットで活動を紹介するなどしたため、現在では毎回15人前後の参加者があります。
地元花室はもとより、遠くは桜川市(真壁)や石岡市から休まずに参加されております。
 今回は、そんな会員の中から3人の方に「坐禅」への思いや感想を書いてもらいました。

【座禅会】
 覚王寺の座禅会に参加するようになって、早や数年の月日が経ちました。昔から坐禅や瞑想に興味があったので、円覚寺の参禅会や福島の好国寺、取手や我孫子の座禅会にも顔を出したことがありました。
 雑念の多い性質なので、座っていてもなかなか煩悩が消えません。居眠りもよくします。
 ことに二年前から坐骨神経痛が起こり、足を組むとつったり痺れたりで、気持ちよく座禅をすることが難しくなりつつありました。
 月に一度の参禅が辛くてはどうしようもないと思い、医者や治療院に行きましたが、診断はヘルニアで、なかなか治らないとのこと。注射をしても薬を飲んでも一向に痛みや痺れは治りません。
 そんな時に、本で知ったある療法を試して見ると効果があり、今では疲れた時に少し痛みや軽い痺れがぶり返す程度で、足を引きずって歩いた以前に比べて、ずっとよくなりました。
 座禅を行おうとする皆様も、お身体の体調に気をつけて、気持ちよく座ることのできるようご注意ください。
阿見町 Sさん

【覚王寺坐禅会に参加して】
 覚王寺坐禅会に参加させて頂いて3年10ヶ月余り、もとより坐禅についての知識は何もなく、坐り方も作法も無知のままの参加でしたが、英住職のていねいなご指導のもと、また諸先輩方の自然な坐り方に感動を覚え、月一回の坐禅会がとても楽しみになりました。
 坐禅を組む前に皆で般若心経を唱えますが、以前から私はこの般若心経に興味を持っていました。ですから、そのことを深く理解されている英住職や会員の皆様と一緒に般若心経を唱えられることは大きな喜びでもあります。
 
 45分間坐ることを一度も苦しいと感じたことはありません。坐禅を組む上で一番難しく感じたのは、心が定まっていないからか、半眼で一定に視線を落とすことでした。
 坐禅が終わってから皆様と一緒にお茶を頂きながらのひとときは、英住職や会員の皆様の大きな心、深い心、豊かな心に触れ、良い刺激になります。また、その部屋に「平常心是道」という大きな額が飾られており、その文字にもとても癒されます。そして坐禅を組むことは心身共に非常に健康的と心得ております。
 「只管打座」、これからも自然体で続けたいと思っております。                          2007年2月24日
Iさん

【覚王寺禅会に参加して】
 覚王寺の月1回の参禅会には、定年退職した一昨年4月から参加させて頂いている者です。
 学生時代には、寺に住み込みなどして、坐禅に親しみましたが、職に就いたり、家庭を持つなどの年代では、思うように参禅して来ませんでしたが、今や自由の身故に、月1回の覚王寺での参禅会が生活のペースになっています。
 覚王寺へは、自宅(千現)から自転車で行くことにしていますが、途中の花室川の田んぼの四季折々の風景を観賞しながら行き、寺が見える道に入ると、日曜日の朝の静けさがこの上なく爽快清新で、参禅への気構えを整えてくれます。
 寺は、道路から離れていることもあり、参禅中は静けさの中、時々鳥の声、虫の声が大きく小さく聞こえるだけ。下腹部に風船があるかのように自らの吸う息、吐く息で気を整えていると、30~40分はすぐに経ってしまいます。
 このような参禅が何のためにあるかは問わずに只管に打坐できることに感謝し、こうした時間を持てるご縁を有り難く思いつつ坐っています。
つくば市千現 Wさん
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覚王寺だより
  第19号
平成19年3月31日(土)
 
■■■■ 「花室小唄」を作ってみました ■■■■
 24日をもって春の彼岸が明けましたが、彼岸中は檀家の皆様に丁寧なご挨拶とご志納を頂きまして有り難うございました。
 ところで、しばらく前になりますが、ある方から『先生、花室を歌にして下さいよ。みんなで歌えるような。』と言われました。
 確かに私は北条小学校に勤めている時には「平成北条音頭」を作り、退職してからは「TX音頭」を作りました。「TX音頭」については国際美学院の恩田鳳昇先生の振り付けと柴崎の市原公香先生のご指導のもとで、「TX音頭を楽しむ会」が発足され、去る24日には栗原の西公民館に50人余の方々の参加を得て第1回の踊りの練習会が行われました。花室からも10数名の方が参加してくださいました。今年の夏の〈まつりつくば〉での発表を目指してがんばって欲しいと思います。
 「花室を歌う」歌を作ることも、地元の仲間意識を高めたり、花室を愛する気持ちを皆で持つということから大変意義のあることだとは思っていました。
 ただ、あまりに身近すぎるという点で、かえって難しいのです。それでも、皆さんのご批評を頂くつもりで、先日歌詞を考えてみました。振りをつけて踊れるようにと思い、曲名を「花室小唄」としました。
 
♪花室小唄♪ 宮本美代子さんの
**************************************************************** 短歌コーナー
        1、春はサクラの公民館で 老いも若いもカラオケ自慢
          夏は七月 八坂の祭り 笑顔はじける子どもの囃子
           ※花室良いとこ 住み良いところ 花室小唄でシャシャンのシャン

        2,秋は取り入れ あふれる実り 夢も大きな田園地帯
          冬が来たとて 元気な仲間  厚い人情で心は一つ
          (※                                      )

        3,北に筑波嶺 東に霞浦(かほ)を 臨む台地の我がふるさとよ
          つくばの駅は すぐ目の前で 明日のくらしを 都と結ぶ
          (※                                      )
藤澤勘兵衛元桜村長に捧げる歌

○二十年 仕えしひとは 演説の
  まこと苦手な 村長(むらおさ)なりき

○庁舎前 清め待つ者ここにあり
    再び来ませ 春還る頃

送別の宴席で「はし袋」に書いたこの歌を
藤澤さんはずとお背広のポケットに入れて
下さっていたことを後日お聞きしました。
****************************************************************
 今後、さらに歌詞を検討して、曲をつけて編曲し、演奏を依頼してCDかテープに収録する
のには、少なくても1ヶ月半ぐらいはかかります。勿論、費用もかかることですので、皆さん
のお考えを聞きながら進めたいと思います。
 適切なアドバイスやご意見を頂ければ有り難く存じます。

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覚王寺だより
第20号
平成19年4月15日(日)
■■■■ 新年度は新念度です ■■■■
 桜花らんまんの中で平成19年の新年度が始まりました。官公庁や学校では人事異動があり、新たなスタッフで活動が始まり、組織そのものが心機一転を図られる時でもあります。
 
 人間は同じ場所で、同じペースで仕事を続けていると、安定してミスは少なくなりますが、その反面、慣れや惰性に陥る傾向が見られます。要領が分かりすぎると創造的意欲が乏しくなるということです。

 仏教には「念を度す」という言葉があります。意味は「自己の心の中に、めざすべき目的をしっかりと定める」というものです。
「念を押す」に近いような教えとも言えます。
 こう考えると「新年度」は「新たに念を度す、即ち新念度」に通じるものがあるようにも思えます。

 私がウォーキングをする頃、何人かの中学一年生らしい生徒たちが新しい自転車に乗ってきちんとヘルメットをかぶって登校していきます。その様子はフレッシュでみずみずしい果物にも似た新鮮さに満ちています。彼らもこれから、良い悪い、さまざまな体験を経ながら人間として成長していくでしょう。
 でも、たとえ大人になっても気持ちは今の純で素直なままでいて欲しいと思います。決してくすんでしまわないで欲しいのです。

 私も退職2年目の生活が始まる今、昨年度と同じペースの中にも、さらに何か新たなものを取り入れながら、覚王寺の仕事を進めていこうと思っております。
 檀徒の皆さんの声をお聞きしながら覚王寺の興隆を図りたいと思いますので、変わらぬご協力をお願い申し上げます。


 宮本美代子さんの短歌コーナー

職場の先達 河村富美子様を想う

○ぼたん桜 豊に咲ける庁舎前
   うつつに君の顕ちくるを待つ

○しゃきしゃきと 黒いコートの裾さばき
   薄暮の街ゆく きみのまぼろし


※国立病院へ毎日のようにバイクをとばした
 私に、主治医は「彼女が残していく母上も
 いることだし、余命三ヶ月とはっきり申し
 ます。
 楽に逝けるように最大の努力はします。」
 と言ってくれました。
 遺書に署名捺印し、ハンドバッグの中の
 整理をしていたのは、死の一週間前でした。

追記
 外トイレの建設が順調に進んで
おります。沢辺工務店さんを始め
工事関係の方々には大変お世話
になります。
 また、総代さん方には毎日のよ
うに足を運んでいただき、感謝申
し上げます。
四月中には完成の予定です。





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覚王寺だより
第21号
平成19年4月28日(土)

■大型連休(ゴールデンウィーク)、どう過ごしますか■
 
 今日(28日)から5月6日まで大型連休です。
 今朝のテレビのニュースでは早くも高速道路では渋滞の混雑が生じていると報じていました。
 ゴールデンウィークというと、日頃、仕事を休めないお父さんが家族とのふれあいをもつために、行楽地や遊園地へ出かけるための休みという印象があります。

 しかし、檀家の皆さんの多くがそうであるように、農家の方々にとってこの時期は田植えの真っ盛りで、むしろ家族みんなで田植えにとりかかかるという極めて勤労生産的な休みと言えます。ただ、数ヶ月後の「黄金の実り」のための作業ということを考えれば、意味は違ってもやはりゴールデンウィークと言えるかも知れません。

 ところでこの大型連休に家族みんなで観光地や遊園地へ出かけるという「風習」が行われるようになったのは、いつ頃からなのでしょうか。おそらく昭和39年の東京オリンピックと東海道新幹線の開通を起爆剤とした高度経済成長以降、つまり昭和40年代からの現象ではないかと思います。
 以来、日本人はこの大型連休に家族とどこかへ出かけて、お金を使うことを一種の「豊かさのステータス」としながら、毎年続けてきているのです。とは言え、私自身も子どもたちが小さい頃には、彼らの求めるところに従って車を駆って、敢えて大混雑の中へ出かけたものです。

 よく、日本人ほど世間の動きを気にする民族はいない、と言われますが、この大型連休に於ける国民の動勢は、それを如実に証明していると思います。
 私の勝手な憶測ですが、これは日本人が本来狩猟民族で、その昔、集団で獲物をとって生きていたというDNAが現代の我々の血に受け継がれてきており、良きにつけ悪しきにつけ「行動を共にしたがる」という心の表現かと思われるのです。
勿論、これは学説的に証明されていることでも何でもありません。

 いずれにしても、今日からの大型連休も、それこそ何千万もの人達が国内はもとより、海外の観光地や行楽地へ出かけ、高速道路や駅、空港は車や旅行客であふれかえると思います。
 私は去年の連休には、教員時代に海外研修を共にした仲間との集まりで、2日から4日まで浜松市へ行ってきました。やはり、どこへ行っても人の波で、疲れ果てて帰ってきたことを覚えております。

 今年の連休は特別に予定もありませんので、一人で裏の竹山のそうじをしようと考えています。数年前、増えて暗いぐらいに混み過ぎた竹を汗かきながら伐り倒していって、ふと天を仰いで詠んだのが次の句です。
 
「竹伐りて 伐るほどにます 空の青」
 
 今年も竹林に清々しい空の青さをとり戻したいと思います。

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覚王寺だより
第22号
平成19年5月15日(火)

■「足を知る」ことの大切さ■
 石庭で有名な京都の竜安寺には「吾れ 唯 足を知る」という文字を表した水鉢があります。これは法句経の中にある「無病は最上の利、足を知るは最上の宝」の一言を形で表したものと言われています。

 私たち人間は、誰でも「ああしたい」とか「こうなりたい」という欲求を持っています。
 それが人間を成長発展させる原動力としての働きをもつという意味では、極めて重要な心の作用であります。大きく言えば、そういう意識が今日の文明を築いてきたとも言えます。

 ただ反面、際限なく欲求を貫こうとすると、そこには心のみにくさや周囲とのトラブルが生じてきます。時には、他人のものまで自分のものにしたくなって、犯罪を起こす者さえ現れてきます。こうなると欲求には一定のブレーキが必要になってきます。

 私は先日、バイクの仲間の元校長ら3人と栃木県の足利までツーリングに行きました。夏を思わせる陽射しの中で、目的地の足利フラワーパークまで2時間ちょっとの快適な走行でした。数え切れない程の藤の巨木に満開の花を下げたフラワーパークは、見物客であふれていました。
 そんな見物客の中に、ボランティアらしい人の肩に手を置きながら藤の花を見て(?)回る目の不自由な人たちのグループがおりました。私は「目が不自由なのに、どうして藤の花の美しさが分かるんだろう」と単純な疑問にかられました。
 そうしたら、その中の一人の目の悪い方がボランティアの人に、「あ、この香りは八重の紫藤ですね。」と語りかけていました。
 確かに藤の花は、その美しさとともに、甘い香りも人をひきつけます。彼らは、その甘い香りを楽しむことで、私たちと同じように藤の花の素晴らしさを感じとっていたのでした。

 私は帰路のバイクを走らせながら、あの目の不自由な人たちがとても楽しげに話し合っている様子を何度も思い出しました。
 ともすると、私たちは体の不自由な人たちに対して、妙な同情心を抱きがちですが、彼らの方がむしろ強い心を持って生きているのだと思います。
 そして彼らこそハンディキャップの中で与えられた自分の状況を十分に認識して頑張っているのです。
つまり「足る」ことを知っているのだと言えます。

 私などは今、幸いに五体満足で、60歳になってもバイクを走らせたり、ゴルフを楽しんだりしています。こういう健康な体に恵まれているからこそ、逆に「心の弱さ」に負けてしまうことがあるのかと、時々反省しています。
 仏道でいう「行(ぎょう)」とは、「自己の弱い心を克服するための厳しい訓練」を言います。
 道元禅師は日常生活の中にこそ「行」の機会はあり、その過程に「悟り」もある(修証一如)と言っております。
 「悟り」に至るのは無理にしても、せめて自分なりの「行」に心がけ、「足を知る」気持ちを持ちたいと思うものです。

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覚王寺だより
第23号
平成19年5月31日(木)

■老人パワーへの期待■

 一般に「老人」と言われるのは65歳以上の人をさしますが、今この65歳以上の方々は日本の全人口の20%以上に達しています。つまり、日本人の5人に1人は老人ということになります。
 今から半世紀ぐらい前の私が子どもの頃には、65歳というともうすっかり「おじいさん、おばあさん」というイメージがありました。童謡「船頭さん」にも「村の渡しの船頭さんは、今年60のおじいさん・・・」という歌詞がありますが、かつては還暦を過ぎたらもう十分に「おじいさん、おばあさん」だったのです。

 ところが現代はどうでしょうか。かつてと比べたら、精神的にも肉体的にも10歳くらいは若くなっているように思います。人によっては20歳ぐらいは若いかも知れません。
 私は先日、檀家のある方に誘われてゴルフに行きました。参加者の多くは顔見知りの方でしたが、私がいっしょに回った組の人たちは私よりもずっと年上で、最高齢の沢辺望さんは70代も中半になります。

 当日はスタートからあいにくの雨でしたが、皆さんは元気はつらつとしていて、まさに「雨ニモ負ケズ・・・」の精神で、最後まで楽しく回り切りました。私は、あの人たちの精神力とエネルギーは、ただ「ゴルフが好きだから」からくるものではないと感じました。
 おそらく日頃の仕事への取り組みは勿論、交友関係や家族への思いやりなど、生活のひとつひとつに精いっぱいの情熱を注いでいるからこそ、あの若さが保たれているのだろうと思います。

 また、数日前に二はテレビのバラエティ番組で「国会議員65歳定年制、是か非か」という討論をやっていました。現役の国会議員も参加し、評論家や芸能人と激論を交わしましたが、最終的には65歳定年制は「否決」になりました。その時論点になったのは、老齢者ならではの人生経験の豊かさが国策を決定するためにいかに重要であるかということでした。
 「若さ」は未経験からくる大胆な思考と行動を生みますが、その分「リスク」も伴います。
 反面「老い」は十分な経験にもとづく冷静かつ慎重な発想で万全を期します。ですから、この両者がうまく相互機能した時、大きな成果をあげ得ると言えます。

 いまだ少子高齢化現象に歯止めがかからない今日、社会が「老人の力」に頼る部分は一層多くなります。
むしろその「老人パワー」は多方面から期待され、活躍の場はますます広がっていくと思います。
 国会議員の70歳代はまだバリバリの現役です。それは地域から選ばれたことに対する自負と責任からくる若さと言えます。
 我々も「老人の元気なパワー」に大いに期待し、人生の先輩の力をあらゆる場面で利用させていただきたいと思います。
 そして同時に、行く行くは我が子や若い人たちから期待される老人になりたいものです。

-お知らせ-
覚王寺境内内の外トイレが完成しました。墓参や清掃の際にご利用下さい。
「使う前よりもきれいに!」をお心掛け下さい。 

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覚王寺だより
第24号
平成19年6月15日(金)

隻手の音声を聞け
(せきしゅのおんじょうをきけ)

 禅宗では、師が弟子を悟りに導く手段として多くの禅語を使いますが、「隻手の音声を聞け」という有名な禅語は、臨済宗中興の祖、白隠禅師(はくいんぜんじ)の教えによるものです。
 これは「両手を打てば当然に音はするが、では片手で打つ音はどんな音か聞いてみなさい」というものです。
 両手のヒラを打てばポンとかパンとか音がしますが、片手をいくら振り回しても音がでるはずはありません。
 
 それを敢えて「その音を聞け」というところに常識では計りかねない、極めて哲学的とも言える禅問答の世界があるのです。
 
 両手を打つ、つまり両手を合わせた姿を合掌といいます。
 私たちはお仏壇の前やお墓参りのとき、必ず合掌をします。
 また、合掌はそれだけで精神の散乱を防ぎ、心を統一する効果があると言われています。

 ところでインドでは、人間の右手を清浄、左手を不浄と見なしますので、これを受けて右手は仏、左手は自己と考えます。
 ですから合掌をするということは、仏と自己が一体になることを示すのです。
 さらに挨拶の意味で人々が互いに合掌し合う時には、右手が相手、左手が自己を意味し、相手と自分が一心になりましょうという願いを表現しているのです。

 このような考えに立って「隻手(片手)とは何か」と問うならば、それは自己(自分自身)をさしているのであり、「隻手の音声を聞け」とは「自分自身をしっかり見つめなさい」という教示にたどり着くのです。
 この教示の実践をめざして、禅僧は坐禅に取り組んで「自己究明」に努め、「自分自身とは何者なのか」を追究していきます。

 坐禅に打ち込んで自己を究めていくと、そこには煩悩に苦しむ自己、あるいは一人では何もできない弱い自己、そして多くの人々の存在によって支えられている自己、また仏の教えによって生きる力を与えられている自己が在ることに気づくのです。
 即ち、一人だけではあまりに無力で弱い私達が、現代の複雑で多難な人間社会を豊かな心で生きていくためには、自分をとり巻くたくさんの人達の力が不可欠なのです。

 その自分を支えてくれる多くの力に感謝することは、今の自分を生み出してくれた両親、さらに脈々たる祖先の存在に感謝すると同等の重みがあると言えます。
 ですから、お仏壇の前に限らず、心から「有り難いなあ」という気持ちを表す時には合掌をしてみて下さい。
 その行為だけで、感謝の気持ちが素直に、そして十分に相手に伝わると思います。


-お知らせ-
「夏休み親子坐禅会」を行います。
◆期日:7月28日(土)、29日(日)
◆時間:午前9:00~11:30
◆対象:小学3年生~6年生

※詳細はこちら(PDF) 

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覚王寺だより
第25号
平成19年6月30日(土)

日々是好日
(にちにちこれこうじつ)

 中国唐代の禅僧で雲門宗の開祖である雲門文偃(うんもんぶんえん)は、ある時弟子の修行僧達に「修行中のお前達の過去のことについては何も問わない。今日以降のことについて何が大切なのかを言葉で表してみなさい。」と言った。
 だが弟子達は、誰も答えられず黙っていた。すると、雲門は弟子達を見渡しながら、「日々是好日」と言い放ったのでした。
 「日々是好日」とは、「仏道修行をするのに悪い日などない。毎日毎日がかけがえのない大切な日だ」という意味です。

 仏教では、過去・現在・未来をあわせて三世と言いますが、生きている我々が体験しているのは、つねに「今」という瞬間です。過去は決して戻ることはありませんし、未来はやってきた時には現在に変わるものですから、SFの世界でもなければ未来を体験することはできません。
 結局のところ「我々は今という瞬間を生きるしかないのだから、過去にくよくよしたり、必要以上に未来に期待せず、今日この日を精一杯に生きることが大切なのだ。」と雲門は説いているのです。

 曹洞宗では、この雲門禅師の「日々是好日」の教えに従うのであれば、一般に日常生活の中で用いられている「六曜」へのこだわりも考え直すべきではないと唱えています。六曜は六曜星の略で「六輝」ともいい、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の六星を一揃えとして、この順で陰暦の月日に従って機械的に割り当てたものです。
 大安はいずれにしても、赤口は正午だけが吉、友引は朝晩が吉で昼は凶、先負は午前が凶で、仏滅は大凶日と気にかけていては、何もできなくなって、それこそ生活がストップしてしまいます。
 社会通念として定着してしまっている「結婚式などの祝いごとは大安に」とか「友引には葬式は避ける」などは自分一人でリキんでみても現状では容易に改善は難しいでしょう。

 ただ、六曜は鎌倉時代に中国から伝えられた思想で、科学的には何の根拠もない迷信に近いものです。それが江戸時代を中心に庶民の生活の中に強く浸透し、時には社会の動きを左右する程でした。
 そうした状況に鑑み、明治新政府は明治5年の太政官布告で六曜を記載した暦の販売を禁止したのでした。
 ですから、現代に生きる我々は、必要以上の「六曜」の呪縛から離れ、人生の中に「悪い日」や「無駄な日」は無いのであって、「その日その日がかけがえのない大切な日だ。」という考えのもとに精一杯に生きるべきだろうと思います。
 誰にとっても、今日もそして明日も「日々是好日」なのですから。

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覚王寺だより
第26号
平成19年7月15日(日)

風土と人間性

 ここへきて本格的な梅雨らしい天候が続いています。九州地方は集中豪雨に襲われ、各地で河川の氾濫や土砂崩れなどの被害が起こっています。梅雨にしても台風にしても、人間の生活にほどほどの影響を及ぼしているのであれば問題は無いし、むしろ水資源の確保という点では必要性があります。
 ただ、それが私達が望むような「ほどほど」の状態でおさまるとは限らないというところに自然と共生することの難しさがあります。

 毎年のように台風の直撃を受ける沖縄や九州地方の人達のご苦労は、関東に住む私達にはちょっと想像できないものがあります。
 高知県に住む私の知人は、そんな私の心配に対し、「大きな被害が出た時やぁ、保険会社は大変だぜよ。」などと人ごとのように言ってましたが、それでも屋根瓦が吹き飛ぶような台風を連続して受ければ、のんびりと構えていられるはずはありません。
 当然、将来に対する深刻な不安を抱えると思います。
 と同時に、生涯にわたってくり返される自然との厳しい闘いの中で、「耐性」や「反発力」を身につけるのも当然の成り行きのように思います。これは、風土が人間性をつくり育てる、ということだと言えます。
 そして、こう考えるならば、私達もこのつくばという風土からさまざまな影響を受けて、私達なりの人間性を培っているものと思います。

 私達が住むつくばという場所は、気候的にも地形的にも全国でまれなほどに恵まれているところと言われます。一年間を通して確かな四季の変化を感じながらも、それが極端でないところがすばらしいと言えます。夏や秋の台風が太平洋側から直撃してくることはめったにありません。また、交通機関がマヒして生活行動が一変してしまうような冬の大雪もほとんどありません。
 ようするに、気候風土が温やかで、人間が生活するための適切な条件を備えている地域なのです。
 17世紀の初頭に天下を平定した徳川家康が、現在の東京に江戸幕府を開いたのも大いにうなづける気がします。

 ところで、茨城の県民性のベスト3は「親切、ひっこみ思案、あきっぽい」だそうですが、確かになるほどと思い当たるところがあります。
 そして私達が暮らすここ花室にも他にはない地域性があり、ここに住む人達独自の「ひとがら」というものがあります。
 それは必ずしも県民性と共通するものでも無いように思います。
 あくまでも私の個人的見解であるということをご理解いただいて花室の人達の「ひとがらベスト3」をあげるならば、「人情に厚い、協調性に富む、主体性に乏しい」というところではないかと思います。
 もちろん「花室の人ばかりじゃないじゃないか」とか「もっとこういうものもあるよ」というご意見もあると思います。あくまでも私が感じるものであり、私自身の欠点などもふまえております。

 いずれにしても、よその地区の人からよく「花室はまとまりがいいよな」と言われますが、これは風土的なものに伝統的な力が加わっているためだと思います。先人が築いてきた地域の良さは、今の住民がきちんと受け継ぎ、後に残していくことが目に見えない地域の財産になると思います。

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覚王寺だより
第27号
平成19年7月31日(火)

薬師万燈(薬師さま)には暗くなってからおいで下さい

 今年も8月11日(土)の薬師さまが近づいて参りました。ご存知のように覚王寺には薬師堂があり、本尊として薬師如来坐像が祀られております。
 この薬師如来は、平安時代の大同年間(806~810年)に行基菩薩によって作られたと言い伝えられております。(真偽のほどは明らかではありませんが。)

 薬師如来は、その名の通り病気を治す力をもった仏さまです。仏教でいう四苦とは「生・老・病・死」の4つをさしますが、人はどんな名誉や財産を得ても、死に至るような病気の前には如何ともしがたいものがあります。
 まして医学技術や医療機関が不十分であった昔は、病気の平癒については現在では想像できないほど切実に神や仏に祈ったに違いありません。
 ですから仏教の伝来とほぼ同時に我国に伝えられた薬師如来への信仰は、皇室から庶民まで幅広く層厚く一気に広まったものと思われます。天武天皇が皇后の病気を心配して建立したあの有名な奈良の薬師寺は、まさに当時の人々のそういう心を代表していると言えます。

 いずれにせよ覚王寺の薬師如来は民間信仰の対象として、特に目の病に霊験あらたかと言われ、堂宇の軒に掲げられた絵馬などからも、相当に遠方からお参りに来た人がいたと思われます。
 また8月11日に覚王寺の薬師さまにお参りするという行事がいつ頃から行われるようになったのか、ということもはっきりしません。ただ、昭和の初めの頃には「薬師さま」というと石段の下や薬師堂の前あたりに夜店が出て、けっこうなにぎわいを見せたということです。

 時代の流れ、世の中の変化とともに「薬師さま」という行事も、多分に事務的になり、本来のあり様から変わって参りました。「わざわざ暑い中、蚊に刺されながらお寺までいくことはないだろうよ。」「誰か車で行ってきな。」etc.簡素化という表現のもとに古い行事が軽んじられてきているのは「薬師さま」ばかりではないように思います。

 そこで今年は少し趣向を変えて、ろうそくの灯(ともしび)で薬師万燈の雰囲気を出してみようと思います。石段から薬師堂までろうそくの明かりで花道を作って皆さんをお迎えしますので、是非暗くなってからお出かけ下さい。
 ろうそくへの点火は6時30分に行う予定です。
 天候にさえ恵まれれば、幻想的な雰囲気の中で薬師さまへのお参りを楽しんでいただけると思います。
 当日は本堂のご本尊(釈迦牟尼仏=おしゃか様)もお参りしていただけるようにしますので、あわせてゆっくりお参りして下さい。
 
※8月15日号はお盆のため休刊とさせていただきます。

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覚王寺だより
第29号
平成19年9月15日(土)

秋分の日とお彼岸
 猛暑日があたりまえという異常な暑さの8月が過ぎたと思ったら、日本列島北半分を縦断する大型の台風9号の襲来が各地に大きな被害をもたらしました。
 人間が宇宙旅行をする時代になっても、大自然の力をコントロールするのはまだまだ遠い先のことのようです。

 ところで、欽明天皇の時代(538年?)に我国に伝えられたといわれる仏教は、1500年の長きにわたって日本人の生活に深く関わり、また、日本人の心を基本的に作って参りました。
 今では、仏教は日本人の民族的遺伝子の中に、間違いなく組み込まれていると言っても過言ではないと思います。
なかでも春秋2回の「お彼岸」は、四季の自然と美しく調和した日本独自の国民的習慣であり、仏教行事になっています。

 彼岸は春分の日(3月20日)と秋分の日(9月23日)をはさんだ前後3日間ずつの一週間をいいます。「暑さ、寒さも彼岸まで」の言葉どおり、気候的には一年間でもっともおだやかな時期に彼岸を迎えるのです。間もなくやってくる秋分の日の頃には、秋もいっそう深まって、ついこの間までの暑さがウソのように思われるのではないでしょうか。

 古代中国で考え出された季節の区分法に二十四節季があります。これは定住型の農耕民族であった先人が、豊かな収穫や生産効果を上げるために、季節や天候の状態を把握する必要性からまとめたものと言われます。
ですから農耕従事者は誰よりも暦法に明るく、その活用法を熟知していたのです。
 この二十四節季の一節季は15日間で推移していきます。当然この中に春分と秋分もあります。
 春分と秋分のこの日、地球の北半球では太陽が真東から昇って真西に沈み、昼夜の長さは同じになります。

 バランスがとれてどちらにも偏らないという考え方を、仏教では「中道(ちゅうどう)」と言います。
 この「中道」を尊重する仏教が、「昼夜が同等である春分・秋分」に結びついて成立したのが、「お彼岸」という仏教行事です。
 私たちは社会生活の中で、さまざまな対人関係を営みながら、この「中道、即ち偏らない考え」をもって生きることの難しさを感じます。
ともすると、自分の考えや行動がベストだと勘違いしたり、何人かで一人を中傷するような言葉を交わしたりしてしまうことがあるかもしれません。
十分心しなければならないことです。

 秋の彼岸を迎えるにあたり、ご先祖様に対し「自分の生き方を自信をもって報告できる」ように、自分の日常を振り返ってみてはいかがでしょうか。

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覚王寺だより

第30号
平成19年9月30日(日)


ようやく秋らしくなってきました
 先日のお彼岸には檀家の皆様方にはいつもながらのご芳志を頂きまして、ありがとうございました。心からお礼を申し上げます。
 8月から続いた異常な暑さの中のお彼岸で、何だか「お盆」と勘違いするような気持ちでお墓参りをしたのは、私ばかりではないと思います。
 前号の覚王寺だよりで「秋分の日の頃には秋もいっそう深まって、ついこの間までの暑さがウソのように思われるでしょう」と書いたのが、まさにウソになってしまいました。
 それでも、ここ数日、ようやく秋めいてきて朝夕の空気は一段と冴えわたり、にぎやかだった蝉の声に代わって秋の虫たちが主役を演じるようになってきました。

 ところで俳句や短歌の世界では、立秋(8月7日ごろ)から立冬(11月7日ごろ)の前までの約3ヶ月を「秋」と位置づけています。
 しかし現実には、今年がそうであったように、秋とは名ばかりで3月は猛暑日の連続で、熱中症で倒れる人が続出しました。今後さらに進むであろう地球の温暖化現象のため、夏はますます暑くなり、冬も年々暖冬傾向になることが予想されます。
この将来にまたがる危機的状況をどうくい止めるかは、まさに世界規模で取り組むべき課題と言えます。

 その昔、日本の冬の寒さはことに厳しく、上流階級の人達はその寒さをしのぐためにたくさんの着物をかさね着したそうです。それが貴族の服装に見られた「十二単」だと言われます。そんな時代には、俳句や短歌で使う「季語」が現実の気候や生活と一致していたのかもしれません。
 海に囲まれ、南北に細長い形状をもつ日本は四季の変化がはっきりしており、その変化が人々の生活・産業・文化等々、あらゆる活動に良い影響を及ぼしてきました。
中でも「秋」という季節は、夏の暑さから解放された人間が、体力面・思考面で十分にその力を発揮するに適した気候環境に恵まれます。
 ですから「スポーツの秋」「とか「学問の秋」「読書の秋」はたまた「食欲の秋」などという言い方で活発な活動が行われる時期です。

 私は土浦の佐野子にある「ペアーレ土浦」という社会保険健康センターで、月2回、水墨画を習っています。この教室でも毎年秋になると、生徒全員による作品の発表会をやります。
ふだんさぼっている私も、この発表会にむけて一所懸命、作品を描きました。大した作品ではありませんが、絵にむかって夜遅くまで筆を動かしていると、何となく「芸術の秋」の雰囲気を味わっているような気になります。
 檀家の皆さんの中にも、スポーツ・音楽・美術・文芸、その他さまざまな趣味・特技をお持ちの方がおります。秋の爽やかな空気のもとで、あるいは静かな夜の灯りの下で、自分のやれる範囲でそれぞれの秋を楽しんで下さい。
 「生涯学習」という言葉があります。仕事プラス好きなことを学ぶことで、人間は年齢に関係なく成長すると言われています。「無趣味」は老いを早める薬です。
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覚王寺だより
第31号
平成19年10月15日(月)

墓地通路の工事が始まりました
 去る10月3日から、地元の高野工務店さんにより、墓地通路の舗装工事が始まりました。
 当日は総代さん達にも出席いただき、工事安全と墓地安穏のための法要を行いました。
 覚王寺の墓地は明治時代に共同墓地化した時に、各戸で所有したもともとの墓地と、昭和40年以降に新設してきたおもに新しい檀家さんの
墓地とに大きく区別されます。
 新しい墓地の方は、区割りが均等で線引きもはっきりしているので問題はないのですが、旧来の墓地は大きさもさまざまで通路との面にも凹凸があります。
 これはおそらく当初から画一的な区割りをしないで、各戸の意向にもとづいて大きさを決めていたことによるものと思われます。

 今回はそういう状況も勘案しながら、できる限り雨水の処理がスムーズにいくように工夫してもらっています。これまでは大雨が降ると土が流れてしまう墓地があったり、水が墓地の中へ入りこんでしまう所があったり、何よりも壊れたアスファルトで足もとが悪い状況がありました。
 今回の舗装工事では、そういういろいろな問題を解決してもらうということを主眼にしております。従いまして墓地の位置によっては、これまでの地面の高さと若干違いがでてくる部分が生じます。極端な所については当該の家の方に確認と承諾をいただいていますが、その他にも墓地の出入り口や側面に数センチの高低差が生じる所があると思います。
極力、支障のないように処理してもらいますので、ご協力を頂きたいと思います。

 現在、アスファルトをはがして、北の方から勾配をとりながら鉄筋を組んでます。この後、順次セメントを流す工程に進みます。しばらくの間は墓参りなどに影響が出ると思いますが、ご理解をお願いします。
せまい通路に機械が入る工事ですので、墓地の礎石などにあたらないように神経を使いながらやってくれています。トラブルを避けるために既存の破損部分については写真もとりながら慎重を期しています。
今後、墓地の改修や石塔の建立などの工事で通路を破損した場合は、当家を通じて業者に現状復帰の工事をしていただくことは必ずお守り頂きたいと思います。

 よく「各王寺の墓地は、高台で陽当たりが良くていい所ですね。」と言われます。
 地区の中心のこの場所に寺を建て、共同墓地を設けた先達に感謝しなければなりません。
 そして、後に続く子々孫々に、よりきれいな状態で引き継いでいくことが、寺と檀家の使命だと思います。
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覚王寺だより
第32号
平成19年10月31日(水)
子育てに「他力本願」はありません
 兵庫県加古川市で小学校2年生の女児が自分の家の玄関先で殺されるという悲惨な事件が起こりました。
 「またか」という思いと共に、こういう子供が被害者になる事件が、何故あとを絶たないのか、今後に不安を感じます。
 よく人命の尊さを例えて、「人の命は地球より重い」と言いますが、昨今の殺人事件の動向を見ると、動機が極めて短絡的で、何かゲームのように命を奪ってしまうケースが多く見られます。まさにテレビゲームの延長のような形で人を殺してしまう事件が続発しているのです。

 ケータイ電話にしろ、パソコンにしろ、その使い方については本来、倫理的な自己規制が必要なのですが、現実にはこれがほとんど野放し状態です。ケータイ電話やパソコンに限らず、科学の発達は私たちの生活を飛躍的に便利にしてきました。しかし、その陰の部分で増長されている問題にも大いに注意を払う必要があります。
 大げさでなく、便利さを追求するあまり、人間社会本来がもつ温かさや結びつきを失っていることに対し、法的な立場からも警戒策を講じる時期にきているのではないかと思います。

 ところで、加古川市の事件がテレビのニュースで報じられた時、女児が通う学校の保護者らしい女性が、「こんなことが二度と起こらないように学校は厳重に子ども達を守ってほしい。」と言ってました。
 確かに殺された女児やその家族に対しては、気の毒で言葉もありません。
 そしてこの事件を他山の石とせず、どの学校でも再発を防ぐための手だてを考えなければなりません。ただ、だからと言って、果たして放課後や休日の子どもの安全をすべて学校に任せてしまうというのはいかがなものかと思います。
 学校の指導と管理の範囲は、子どもが家を出て学校で生活し、家に帰るまでをさします。ですから、家に帰ってきてからの指導・監督の責任は家庭がもつものなのです。あのテレビで発言していた方は「こんなことが二度と起こらないように、私たち母親もしっかり子どもを守っていかなければなりません」と言うべきなのです。

 子育てに於ける「他力本願」や「責任転嫁」は最も避けなければならない態度です。
 かつての母親は、たくさんの子どもを育てながらも、肝心のところでは、どの子にも適切で十分な愛情を注いでいました。
 父親は時には厳しい鉄拳制裁を容赦しませんでした。一方、母親はそれをかばうようにやさしい言葉でフォローしました。
 その絶妙の兼ね合いが、子どもに親の愛を痛切に感じさせたのでした。

 ケータイもパソコンも車も、おいしいものも無い時代でしたが、心の豊かさと家族のつながりは今の時代の比ではなかったと言えます。
 子どもをとり巻く環境は、防犯・交通両面に於いてますます厳しくなってきております。
 今こそ強い愛情と厳しい指導力をもって、自分の子どもは自分で守るという意識が求められる時だと思います。

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覚王寺だより
第33号
平成19年11月15日(木)

1、墓地通路の舗装工事が終わりました
    10月初めから高野工務店さんによって行われてきた墓地通路の舗装工事が、先日終了しました。これまでの傷んでいたアスファルトをすべて掘り起こし、新たに鉄筋を組んだ上にセメントを流しました。
 今までは大雨の時に、所々に水たまりができてしまうなど歩行に難をきたしてましたが、雨水の流れにも十分配慮し、山門から石段の方に流れるようにしてくれました。
 これからは、雨の日の墓参りにも汚れを心配しないですむと思います。とにかく来る12月9日(日)の合同供養には、是非その出来映えをご覧になって下さい。
 ていねいな工事で見事に仕上げていただいた高野工務店さんに感謝しますと共に、ことあるたびに足を運んで工事を見守って下さった総代さんや護持会の役員さん方に心からお礼を申し上げます。

2、供養する心に合掌
    覚王寺の檀家の方で、折々にお地蔵様や薬師堂や水子地蔵に花をあげてくれている人がいるのをご存知でしょうか。
 その方、Hさんは、もう何年も前からご自身の家の墓参りのたびに境内の仏さまやお堂に花をあげてくれております。
 これは単に好意的とか奉仕的とかいう行為ではなく、十分に立派な供養の心の表現だと言えます。
 供養(くよう)とは、仏・法・僧の三宝(さんぽう)や父母を始めとする縁者・知人・友人などの亡者(もうじゃ=亡くなった人)に対して、香華(こうげ)、灯明、飲食(おんじき)などを捧げることを言い、正式には供給資養(くきゅうしよう)と言います。一般には略して供養と言っています。
 Hさんの行為は、特にその継続性に於いて、他に範たる供養の心であり、素直に感謝の合掌をしたいと思います。
 「本当にいつも有り難うございます。

3、「オールウェイズ 三丁目の夕日」を見て
 先日、テレビで映画「オールウェイズ 三丁目の夕日」を見ました。
 今から半世紀近く前の昭和30年代の東京の品川区あたりの庶民の生活ぶりを描いた映画で、登場する人々の服装や日用品から街並みまで、すべて懐かしさにあふれていました。
 白黒のテレビ(当時はそれが最先端)を買った家に、隣近所の人達が集まって力道山のプロレスを見るシーンなどは、ノスタルジックな雰囲気がいっぱいでした。
 想えば花室では、大津屋さんが早くにテレビを購入され、子どもだった私らは、やはりプロレスの番組を見せてもらいに行ったものでした。
 あの頃は世の中全般がまだ戦後の発展途上で、けして豊かではなかったけれども、確実にみんなで力を合わせようという心の連帯感がありました。逆に今は、多少の豊かさを手に入れたものの、反面、心のつながりは弱くなっているように思います。
 なかなかバランス良く発展しないものだということを、映画を見ながら実感しました。

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覚王寺だより
第34号
平成19年11月30日(金)
お墓の前では泣いてもいいのです
 しばらく前になりますが、「千の風になって」という歌がヒットしました。日本を代表するテノール歌手が澄んだ声で哀愁を漂わせながら唄ってました。 あの歌の冒頭に「私のお墓の前で泣かないで下さい・・・」という歌詞が出てきます。
 あの歌は亡くなった人の立場で歌ったものですから、お参りに来た人に対して「私は死んでもこの墓の下にはいませんよ。風になって自由に大空をかけ廻ってます。だから、もう悲しまないで下さい。」と、いわば遺族を励まそうという意図をもっています。元来が外国の歌ですから、多分に日本人とは発想が違うし、逆にその意外性が受け容れられてヒット曲になったものと言えます。

 ところで、私たちはお墓参りに行って、線香を持って墓石の前に立った時、何を考えるでしょうか。
 当然ですが、まず亡くなった人達のことを思い浮かべます。例えば偕老同穴を誓い合ったのに先立ってしまった夫のこと、または妻のこと、あるいは今の自分よりも若い年齢で逝ってしまったやさしかった母のこと、さらには、あろうことか自分をおいて死んでしまった最愛の我が子のこと、などなど人それぞれに多様だと思います。
 そして、それらの人を思い出す時、そこには厳然として、ありし日の個人の姿が存在するのであり、少なくも目の前の墓の下から飛び出してどこかへ行ってしまっているとは考えられないのです。これが我々日本人の一般的な墓参りに対する感情だと言えます。

 話はかわりますが、先日、私が高校時代の友人らと食事会をした時、「墓参り」のことが話題になりました。それは友人の一人がこんなことを言ったのがきっかけでした。
 「墓石にむかって線香をあげてたら、亡くなったおふくろの顔を思い出したんだけど、おふくろは今の俺よりずっと若い年で亡くなったのに、なんで俺よりも年上なのかなあ。」
 それからしばらく、このことで話が盛り上がりました。そしてその結果は、「亡くなった人のことを思い出す時は、自分もその人と生活を共にした年頃に戻っている」ということでした。
 何だか当たり前と言えばそれまでのようなことですが、そんな結論が出たあとで、話題の口火を切った友人が言いました。
 「おふくろが死んだ時、俺は中学2年だったんだけど、親父から“もうだめだ”と告げられた時、夜中の病院の廊下で声をあげて泣いたんだ。兄貴が“泣くな”って言うんだけど、言われれば言われるほど、大声で泣いたもんなあ。」
 彼の話をみんなでしんみり聞いたのでした。
 みんな、もう還暦を過ぎました。多かれ少なかれ、彼と似たような思いを経験してここまで来たのです。
 彼は墓参りに行ってお母さんが亡くなった夜のことを思い出すと、今でも泣いてしまうそうです。

 間もなく合同供養です。檀家の皆さんも、それぞれの「思い」をもってお墓参りをすると思います。
 どうぞ純粋で素直な気持ちで墓石に向かって下さい。
 亡くなった人を思った時、涙が出れば、その涙は心を洗う涙です。けして恥ずかしくも何ともないのです。
 お墓の前では泣いたっていいのです。それが仏性(ぶっしょう)を持つ人間としての本来の姿なのですから。

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覚王寺だより
第35号
平成19年12月15日(土)
■永代供養墓を作りました■
 9日(日)の合同供養は、大勢の檀徒の皆さんの参加のもと、滞りなく盛大に挙行することが出来ました。護持会の役員の皆様はじめ、ご協力・ご支援いただきました方々に深く感謝申し上げます。当日は好天の中、新たに舗装された墓地通路を行き交う墓参りの人達でにぎわいました。
 
その時、本堂西側高台の墓地の一角に、一風変わった塔をのせた四角い大きなお墓ができたのに気づかれた方もあったと思います。塔の正面には「南無釈迦牟尼佛(なむしゃかむにぶつ)」と曹洞宗のお題目が刻んであります。

 このお墓は「永代供養墓(えいだいくようぼ)」と言い、死後のお骨の管理と供養を寺にすべて依頼するという形のものです。
ですから当然、生前に申し込んでおくこともできます。
 
自分あるいは自分たち夫婦のためにだけ墓地を求めることに負担感があったり、知らない他の仏さまといっしょに祀られることに抵抗がないのであれば、この永代供養墓を利用するのもよろしいかと存じます。

 「永代供養墓」は合祀墓(ごうしぼ)とか倶会一処墓(くえいっしょぼ)とも言われ、「○○家先祖代々」型の墓とは異なり、もともと他人であった仏さまが一つの墓地に入るという点に特色があります。都市の寺院などでは、平成になった頃から、この永代供養墓が現れ始め、少子化傾向の進展や親子が遠く離れて世帯を持つという現象と相まって需要が増えてきたとも言われます。

 近年、学園地区に住む方からこうした問い合わせが出てきていますので、覚王寺としてもこの「永代供養墓」を設けて、そうした求めに応えられる態勢を整えてきたわけでございます。特に何らかの宣伝、広告をする計画はありませんが、檀徒の皆様が誰かから「永代供養墓」についての相談を受けました折には、どうぞご紹介いただきたく思います。
永代使用料については、使用形態も様々ですので、周辺の永代供養墓の現状を参考にしながら妥当な線を検討したいと考えております。

 またこの度、本堂の北側に「ペット用の墓地(納骨堂)」も作りました。
 家族同様に暮らしてきた可愛いペットをいつまでも供養してやりたいという心の方に利用していただきたいと思います。
 墓地の前面に「やすらかに」と刻みました。これは、ペットとして家族の一員として、家族の気持ちを癒してくれたり、また時には家族を守ってくれたペットにやすらかに眠ってほしいという思いをこめました。どうぞ一度ご覧になって下さい。

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 平成19年も残り少なくなって参りました。
 今年も31日(月)の大晦日には恒例の除夜の鐘を撞きます。時間は11時頃からの予定です。
 尚、10時からは、これも恒例になりました年越し坐禅会を行います。
 しんしんと冷えて、まさに心身ともに引き締まる空気の中でじっと坐って今年を振り返ってみるのも、また一つの思い出になるかと思います。


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覚王寺だより
第36号
平成20年1月15日(火)
■子年の初めに■

 1月も早、中半になりましたが、あらためまして「平成20年、明けましておめでとうございます。」
 この年末・年始にも覚王寺として、また私個人としていくつかのできごとがありました。
 まず、暮れの27日(木)には、茨城放送から「坐禅会」についての取材を受けました。私に対するインタビューはせいぜい5~6分でしたが、それでもけっこう聞いている人はいるもので、放送後早速に何人かの人から電話がありました。中には大学以来の悪友から「何をエラそうなことを言って・・・」などというものもありました。

 そして、大晦日の31日には、午後10時から恒例になりました年越しの坐禅会を行い
ました。その夜は、坐禅会の会員に加えて27日の放送を聞いたという筑波大に留学している外国人の学生達6人が参加してくれました。6人とも初めてとは思えないほどしっかりした姿勢で、底冷えのする本堂で30分間の坐禅に打ち込みました。
 坐禅の後は焚き火で暖を取りながら除夜の鐘をつきました。毎年のことながら、花室ばかりでなく学園の方からも鐘の音を聞いて煩悩を払いに駆けつける人もおりました。
 
 午前1時半すぎ、皆さんが帰って焚き火の始末をしながら見た星の輝きに、私は明朝の初日の出のすばらしさを予想しました。
 そこで元日はまだ暗い午前6時に起きて、眠い目をこすりながら皮ジャンに身を包んで、厳寒の中をバイクを走らせました。
 学園線から高架道に入る頃、東の空が白々となり、霞ヶ浦湖岸を手野から歩崎に向かう時に東の雲が金色に輝き、ちょうど歩崎に着いた時に西浦の波間を染めながら北浦越しに平成20年の初日が昇ってきました。1年のスタートを切る朝日は、どこか昨日までと違って新鮮な美しさにあふれており、自然に手を合わせたくなりました。

 2日からは檀家の皆さまからの年始の挨拶をいただきました。
 皆さまのお心遣いに感謝申し上げますと共に、檀家の皆さま方のご健勝をお祈り申し上げます。
 今年は子(ね)年です。
 子は、十二支のスタートであり、転じてものごとの始まりにふさわしい年とされます。
 世の中のすべてのものごとには始まりや大もとがあります。しかし私達はともすると、この始まりや大もと(原点と言っても良いでしょう)を忘れたり、軽んじたりすることがあります。
 禅語に「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」という言葉があります。「看脚下(かんきゃっか)」とも言います。簡単には「自分の足元をよく見なさい」というものですが、禅の教えとしては「今があるのは、いかなる経緯のもとになっているのか、その原点を振り返って考えよ」というものです。
 個人の人生設計にしろ国家の政治的判断にしろ、原点をないがしろにした構想は極めてもろいものであり、まさに足元をすくわれて転倒しかねないのです。
 平成20年、子年にあたり、すべからく「脚下照顧」の心でことに臨みたいと思います。

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覚王寺だより
第37号
平成20年1月31日(木)
■野村監督の言葉に学ぶ■

 私が最近読んだほんのひとつに、楽天イーグルスの野村監督が書いた「野村ノート」という本があります。彼の27年間に及ぶプロ野球での選手生活とそれに続くヤクルト・阪神・楽天での14年間の監督生活やその間の評論家生活で築いた野球に対する考えをさまざまな観点から論じている名著です。
 この「野村ノート」の中で、私が「なるほど」と感心させられた理論をあげてみます。
 多分、これはプロ野球のチームというスポーツの組織ばかりでなく、一般の会社や個人のお店、あるいは家庭という極小の組織集団でも通用するものと思います。

1.「人生」と「仕事」は常に連動していることを自覚せよ
 これは、仕事を通じて人間形成、人格の形成をしていくということを強調した言葉です。
 昨年末にNHKの番組に出ていた野村監督が「人間的成長なくして技術の進歩はない」と言っていました。確かに野村監督率いる東北楽天イーグルスでは、選手に茶髪や長髪を禁止していることで有名です。スポーツマンにはスポーツマンにふさわしい清潔な髪型があるのであって、ましてプロとしての技術が未熟な者が、本来の目的以外のことに神経を使っていては上手くなるものも上手くならない、というのが彼の考えです。
 楽天イーグルスの選手達は監督の考えに従っているため、日本ハムのダルビッシュ投手のような長髪はおりません。田中マー君なども高校時代とほとんど変わらない頭で新人王を獲ったのです。

2.「無形の力」をつけよ
 技量だけでは相手に勝てない。形にあらわれない力を身につけることが極めて大切であると言ったものです。
 つまり、「情報収集能力、観察力、分析力、判断力、先見力、ひらめき、鋭い勘」等であります。
 私はこれら形にあらわれない力は、例えば親が子どもを育てていく時に必要不可欠な能力だと思います。日々変化しながら成長する我が子を適切に指導していくのには、野村監督言うところの、この「無形の力」が欠かせないと言えるのではないでしょうか。

 「野村ノート」の中では、他にも現実のスター選手との関わりをもとに、多くの示唆に富んだ話を披露してくれております。
 ところで私は、今から25年ぐらい前、土浦二中に勤めていた時、野村監督と席を共にしたことがあります。
 当時私が担任をしていた生徒の親に富嶋五郎さんという方がおりました。富嶋さんは土浦三高のエースでしたが、のちに南海ホークスに入団して左腕からのドロップで名を馳せた選手でした。
変化球の投げ過ぎで肩をこわし、30歳そこそこで引退して当時はサラリーマンに転身していました。
 その富嶋さんが、ある講演会で土浦に来ていた野村監督(その頃は評論家)を行きつけのスナックへ引っ張り出して、1時間ぐらい私と3人で野球と教育の話に花を咲かせたのです。
 私は話をしていて、この人が野球の世界にだけ生きてきた人なのかと思うほど、中学校が抱える問題に精通しているのに驚きました。
 今も現役で活躍する野村監督をテレビで拝見すると、富嶋さんが誘ってくれて共に過ごした桜町のさえないスナック(監督は「五郎ちゃん、ここは未亡人クラブかい?」と言った)でのひと時を思い出すのです。
 セ・リーグは巨人、パ・リーグは楽天の優勝を期待しております。
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覚王寺だより
第38号
平成20年2月15日(金)
■葬式の作法、今昔■
 先日、物置を片づけていたら、祖父(21代俊龍和尚)が使ったと思われる「葬式と法事の仕方」という本が出てきました。
 著者は駒澤大学仏教学部教授の茂木無文という人で、昭和13年12月に東京の代々木書院という本屋から50銭で発売された本です。 もうすっかりセピア色に変色して、ところどころ破けております。
 この本の中に「在家の葬式について」という項目があって、いわゆるお檀家さんの葬儀に際しての心構えや注意事項が詳細に記されて
おりました。現在では行われなくなった習わしなども随所に出てくるので、興味深く読んでみました。
 その中のいくつかを紹介しますが、多分、お年を召した方の中には「うちの○○の葬式の時にはそんなことをやってたな」と思い出さ
れる方がいると思います。
当然ですが、特別の場合(戦死者の合同葬など)以外は自宅葬が基本の時代ですので、それも念頭において下さい。

1.龕前剃髪(がんぜんていはつ)
  授戒(じゅかい)に先立って剃髪の儀式を行うことで、導師は合掌した手に剃刀をはさんでげ偈文(げもん)を唱え  ます。
  この剃髪の儀式については、場所によってさまざまで、関東地方でも行わない地域があるそうです。
2.授戒作法
  本来仏教徒であれば、生前授戒が理想であり、仏弟子となっていわゆる戒名を授かって成仏までの期間、教義の実践  に勤めるのです。  
  しかし一般には、死んで初めて戒律を受けるので、死人を仏化する第一条件たる授戒は葬儀の中で最も大切な儀式と  されます。
3.鼓鈹三通(くはつさんつう)
  授戒のあと、仏具を用いてチンドンジャンと三回くり返すことです。この鳴らし物の音のイメージから、地方によっ  ては葬式のことをジャンボー、ジャンボンあるいはビンチャンなどと称しているのは今日でも同じです。
4.葬列
  関東地方に於ける一般的な例として、先頭から松明(たいまつ)、高張提灯、花籠、大幡四瑠旒、弔旗、花輪、僧侶  、位牌(喪主)、  霊膳(喪主の妻)、遺物、笠や杖、膳の綱、霊龕(六道が担ぐ)、天蓋、親族の男子、一般の  会葬者の順が基本だとしています。
  ※膳の綱とは、さらしもめんを龕に結んだもので、近親の婦人達が持った。
5.葬場三匝(そうじょうさんそう)
  覚王寺の場合は山門の下で三匝(葬列のまま時計回りに3周する)してから石段をあがりました。龕をかついで喪家  からずーっと葬列を組んで歩いてきて三匝の後、石段を登ったのですから六道さんの労力は今日の比ではなかったと  思います。


 以上、おもな作法をあげてみました。思いあたるものがおありでしょうか。
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覚王寺だより
第39号
平成20年2月29日(金)

                                                                 

 
■名僧大寅(だいいん)(如蓮(じょれん))和尚■
 覚王寺の第12代の住職に大寅褒禅という人がおります。若い時の名は如蓮と言います。如蓮和尚は天明5年(1785年)に江戸で生まれ、9才の時、駒込の名刹吉祥寺の石牛和尚に従って受戒しました。18才の頃にはすでに学僧100人を越す学寮の長となり、禅僧として抜群
の力量を身につけていたと言われています。
 その後、さらに自らの識見を高めるべく諸国に修行の旅に出たのですが、特に名古屋の珍牛大和尚のもとで禅道の探求に努め、名古屋徳川家の殿様にもお目通りして坐禅の心得を指導するまでに至りました。如蓮和尚はその後、名古屋をあとにしてさらに諸国を修行して回り、文化2年、31才の時、縁あって覚王寺の住職になったのでした。
 その頃、参勤交代で江戸に来ていた名古屋の殿様が江戸城内で会った土浦藩主の土屋候に「あなたの領内に如蓮という若い僧がいるはずだ。捜して名古屋に来るように伝えてもらいたい。」と言ったそうです。
土屋候は、さっそく国家老に命じて寮内の寺々を捜させたところ、花室の覚王寺にいることがわかったのでした。
 土屋候は「名古屋の殿様がほしがる、そんなに立派な和尚ならば、是非自分の城下の神龍寺に迎え入れよう」と考え、家老を覚王寺に向かわせたのでした。覚王寺の住職として村の人々とのつながりを大切にしていた如蓮和尚は、初めは土屋候の願いを聞き入れませんでした。
しかし、家老や城下の寺院の住職の再三の説得に、ついに気持ちを決め、覚王寺をあとにして土浦(現在の文京町)の神龍寺の第20代の住職に就いたのでした。
 如蓮和尚40才の頃の天保年間に、神龍寺では本堂の再建という大事業を行いました。その落成を記念して、和尚は霞ヶ浦の沖から汲み上げた水を支那渡来の墨ですりあげ、その墨水をワラジにたっぷりふくませて、一気に一筆書きの竜を書き上げました。
これが有名な「火ぶせの竜」の絵です。
 この絵の掛け軸を持っている家でボヤ騒ぎがあった時、まるで防火用のネットをかぶせたように掛け軸の前で火が消えたという現代科学の常識では理解できない現象が起きたと言われています。
 また、如蓮和尚が書いた「一円相」(悟りの境地を満月に例え、一つの円を以て禅の教えを説く)は、環(たまき)として尊ばれ、現在、土浦市立土浦小学校の校章に用いられています。私が校長を勤めた土浦第二小学校の校章は、環を2つ重ね合わせた形になっており、土浦小学校の姉妹校を意味しています。
 藤田東湖や佐久間東雄など歴史上の偉人とも親交が深く、数々の文化的業績を残した如蓮和尚は、安政5年に74才で寂滅しました。
神龍寺の歴代住職の一角、大寅という墓石の下に眠っております。
 如蓮を世に出した、ここ覚王寺には本堂の正面に和尚が書いた豪快な文字の「覚王寺」という扁額があり、大寅の名がしたためられています。
 本堂に入って正面の金文字の額ですので、一度じっくりとご覧になって下さい。
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覚王寺だより
第40号
平成20年3月15日(土)
■檀家総代さん、ご苦労様でした■
平成17年4月以来、3年間にわたって檀家総代の要職をお務めいただいた宮本昌明様、酒井正巳様、小田倉庄吾様の任期がこの3月いっぱいを以て終了いたします。
覚王寺の場合、総代さんには護持会の会長、副会長を兼ねていただいておりますので、特に護持会の事業運営の面に於いて、大変なご尽力をいただきました。
お三人の在任中のおもな事業について振り返ってみたいと思います。

○終戦60周年記念戦没者慰霊法要の開催(17年8月15日)
 戦後60年を経て、ともすると風化しがちな戦禍の事実を再認識し、改めて平和の尊さを希求する気持ちを後世に伝えようという思いで実施しました。

○覚王寺歴代住職の位牌の入仏供養(18年8月15日)
 覚王寺古開基から20世までの歴代住職23柱の位牌を新たに造り、お盆の施餓鬼にあわせて入仏供養を行いました。

○大本山總持寺への団体参拝の実施(18年10月4日~5日)
 平成13年8月の永平寺への参拝から5年、曹洞宗のもう一方の大本山、横浜市の總持寺への参拝を実施しました。
 護持会の役員さん方をはじめとする25人の信徒の皆さんの参加を得て、有意義な参拝研修が行われました。
○境内への外トイレの建設(19年3月)
○墓地内への水道の設置
○墓地内通路の全面舗装(19年1月)
これらの事業はいずれも墓参りや墓掃除に来る檀信徒の皆さんの「要望の声」に応えたもので、総代さん方は自ら陣頭指揮しながら着工から完了まで多大なお骨折りをいただきました。
 この他、毎年12月に行う合同供養には、その準備の段階から当日の運営まで、中心になって活動していただきました。護持会を統括し、
また寺総代として対外的な面でも御苦労をおかけしました。任期中、つねに覚王寺の整備と護持を意識して事業に取り組んで尽力していただきましたことに改めまして衷心より謝意を表したいと思います。
 お三方が今後もさらにご壮健で覚王寺の護持のために側面からお力添えをいただきますことをお願いし、檀信徒の皆様と共にお礼申し上げます。
なお、後任の総代さん方については次号で紹介致します。



※17日より春の彼岸です。
「墓ごとに花華やかに春彼岸」賢孝
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覚王寺だより
第41号
平成20年3月31日(月)
■新しい総代さんを紹介いたします■
 前回の「覚王寺だより」でお知らせしましたように、この3月いっぱいでこれまでの3人の総代さん方の任期が満了いたしました。
 そのあとを継いで、次の4人の方に覚王寺の総代並びに護持会の会長・副会長を受けていただきましたのでご紹介します。

 ○覚王寺護持会会長  中山  和男 様
    〃  副会長  沢辺  弘  様
    〃  副会長  小田倉 光可 様
    〃(会計担当) 高野  光夫 様

 今後、覚王寺の護持と隆盛のため、中核的立場でお骨折りいただくことになりますが、どうか檀信徒の皆様方の力強いご支援とご協力を新しい総代さん方のために頂きますよう、寺としても心からお願いいたします。
 おかげさまで檀信徒の皆様の篤信を以て、覚王寺は内容、外観ともに、他の寺院にひけをとらないところまで整って参りました。
これひとえに歴代の総代さん方をはじめとする護持会役員諸氏のご尽力と檀信徒各位のご協力の賜と深く感謝致しております。
 開山以来350年、住職23代を以て脈々と法灯を維持してきた背景には、その時代ごとに寺を支えてくださった地域の方々のお力があったからであります。
そうした意味からも、新しい総代さんを中心として、覚王寺護持会がさらに活力を得て、寺運興隆のために活動されますことを期待申し上げる次第です。
■本堂でコンサートを開きます■
 寺の役割を歴史をさかのぼって考えれば、時に戦いのための城であったり、時に民衆のための集会場であったり、時に地域の子どもたちのための学校であったりと本来の仏道修行以外の目的で用いられることは決して珍しくありませんでした。
 私は、この覚王寺もまず檀信徒の皆さんに開かれた寺でありたいと考えております。月1回の坐禅会もその考えの具現化であります。
坐禅会も最近は筑波大の留学生らの参加ですこぶる国際色豊かになっております。子どもさんにナマの英語やフランス語を習わせたい方は、その目的で坐禅会に来てみるのも一考かと思います。
 ところで、そんな「開かれた寺」の行事の一つとして、来る4月29日(火)〈昭和の日、祝日〉に覚王寺本堂を会場として音楽のコンサートを行います。
詳しい案内は次回の「覚王寺だより」で配らせていただきますが、おおよその構成は次のようなものです。

 第一部 音楽座「筑音喜(ちくおんき)」による器楽演奏    夜来香、涙そうそう 他
 第二部 「英けんこうの歌」発表                TX音頭、北条恋みれん 他
 第三部 ご一緒に歌いましょうのコーナー            ふるさと、見上げてごらん夜の星を 他
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覚王寺だより
第42号
平成20年4月15日(火)
■心のレベルアップを■
 ゴルフ上達の教訓として、よく「練習はウソをつかない」と言います。「練習」も練は、同じ作業を繰り返して行いながら技能を高めるという意味です。一流のプロゴルファーなどは、試合の合間にはそれこそ血の出るような厳しい練習でいくらかでも自分の技術を高める努力をしています。そんなプロの世界とは全く次元の違う話ですが、私のようなゴルフの初心者で技術もおそまつな者は、もっと練習をしなければいけないのに、ほとんどぶっつけ本番でコースを回るのですから、上達するはずがありません。同じゴルフの仲間でよく練習に励んでいる人が確実にうまくなっているのを見るにつけ、「やはり練習はウソをつかないな」と思うのです。

 ところで、この「練習」ということに関して、ある本にこんなことが書いてありました。
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 プロ野球のシーズン前のキャンプで、あるチームの投手が全身汗まみれになって投球練習をしていました。取材に訪れたスポーツ記者が、そばにいたピッチングコーチに「あれだけ練習すれば、今シーズンの活躍が期待できますね」とたずねました。
 すると、コーチは「あんなものはれんしゅうじゃないよ。彼は去年だってあれぐらいのボールは投げていたんだから。できることをいくらやったって、それは練習とは言えないよ」とあっさり言いました。
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 つまりコーチは「今まで自分ができなかったことに挑戦するのが練習なんだ」と言ったわけです。
 
 この話に出てくる「練習の意味」は、仏教の「修行」という言葉におきかえられると思います。「修行」とは「自己を厳しく鍛錬する」という意味ですが、やはり「練」の字が使われます。
 思えば私たちの人生は修行(練習)の積み重ねで成り立っています。幼少の時代から大人になり、さらに年齢を経ると共に高い智恵や深い情緒を身につけていきます。当然そこには人によって差異はありますが、意識して取り組みさえすれば、年齢や性別に関係なく誰でも「心」のレベルアップを図ることが可能なのです。
例えば「おはよう」とか「こんにちは」の挨拶ひとつにしても、心がけなければついついおろそかになってしまいます。特に家族同士で「おはよう」「ありがとう」を自然に言い交わせるのはなかなか至難の業です。照れることなく、またその時の気分に左右されずに、誰に対しても「挨拶」がきちんとできるようになった時、それはもう十分に「心のレベルアップ」が図れたと言えるのです。

 そしてこのことは、私たちの日常生活、いや大きく言えば人生のあらゆることに言えるのであります。つまり誰にでも「こうなりたい」とか「これをがんばろう」というものはあるはずです。その明確な目的をもって、修行の気持ちでそれに取り組んでいる人は実際の年齢よりも「心」が若い人です。よく「あの人は若いねエ」と言われる方は、必ず目的的な生き方をしています。
 道元禅師の言葉に「諸仏の大道、その究尽するところ透脱なり、現成なり」というものがあります。「生きている限り、自己の全生活を通して生命の実現をめざす」ことを説いたものです。

 私たちは生ある限り、心のレベルアップをめざしながら、いつまでも若くあるよう努めたいものです。
 年齢と共に体力は衰えますが、心は絶対に衰えないのですから。
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覚王寺だより
第43号
平成20年4月30日(水)
■日常語の中に見る仏教語(その1)■
 ふだん私達が日常に使っている言葉にはそれぞれ由来があります。ほとんどは長い歴史の歩みと共に日本人の生活の中に溶けこんで定着したものですが、中には異質なものもあります。例えば、パン、タバコ、ガラス、コーヒーなどはいわゆる外来語ですし、宇宙船、録画、サーフィン、コンピュータなどのように新しい物事の誕生によって作られた言葉を新語と言います。これらと同様に日常生活の中でごく自然のうちに仏教語が多く使われているのに驚かされます。
 今回は、それらの主なものをいくつかあげてみます。仏教語本来の意味からはかなり変化しながら使われているものが多いのですが、それは頭の良い先人達が堅苦しい仏教語をうまく変化活用させながら日常化させてきたからだと思います。

1.多生(他生)の縁
 今の学生達に「袖触れ合うもタショウの縁」と書かせると、圧倒的にタショウを多少と書くそうです。
 仏教では「成仏」しない限りは、生まれ変わり死に変わりという輪廻(りんね)を繰り返すと考えます。
 この生まれ変わり死に変わりの苦しみのサイクルを「多生」と言います。
 仏陀(釈尊)が説く悟りとは、この多生の輪廻の苦しみからの解放を意味するものなのです。
 ですから多生を多少と書いてしまっては、多少どころか全く意味が違ってしまうわけです。

2.うろうろする
 うろは「有漏」と書きますが、漏(ろ)とはいわゆる煩悩(ぼんのう)のことです。
 つまり、うろうろするとは「四苦八苦たくさんの煩悩があってどうすればよいのか迷ってしまう状態」のことなのです。
 ですから年老いて幾分もの忘れをするようになって、さっきテレビの上に置いたばかりの車のキーをさがして「うろうろする」のとはレベル が違うのです。
 よく煩悩は百八あると言われて、大晦日に除夜の鐘を撞いて清めるはずなのですが、たいがいの人はこの煩悩に一生涯苦しむのです。
 もっともすべての煩悩を振り払って生きるということは、現実には無理があります。
 私達が「生きる」ということは、間違いなく何かの欲望に支えられていることなのです。つまり必要な煩悩があるということです。
 露骨な表現になりますが、性欲があってこそ子孫の繁栄につながるのであり、金銭欲があるからこそ経済活動が活発化すると言えるのです。
 ですから、これらの煩悩の行き過ぎを抑える意味も含めて、禅では「無罣碍(むけいげ)」即ち「こだわりすぎない」ことの大切さを説いて おります。
 つまり人間生活に必要な「うろうろ」もあるということです。

 今回は以上二つを取り上げましたが、日常語に紛れ込んだ仏教語はまだまだあるようですので、またの機会に考えてみたいと思います。
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覚王寺だより
第44号
平成20年5月15日(木)
■早苗饗(さなぶり)の頃となりました■
 桜をはじめとする春の花々が咲き終わるや、今度は待ってましたとばかりにあらゆる木々が新芽を吹き出します。日に日に新緑が鮮やかさを増し、今はどこを見ても新緑鮮やかで、天候に関わりなく清々しい気分になります。
加えて田植えが終わった水田は、早苗が列を成して美しく、これからの成長を待っています。一年のうちの初夏という季節は、人間の人生で言えば伸び盛りの青年期のようです。

 ところで、今ではほとんど見られなくなりましたが、田植えが終わった頃の農村では「早苗饗(さなぶり)」という風習がありました。
 なぜ「さなぶり」という風習を思い出したかと言いますと、先日何気なく見ていた俳句の本の夏の句のところに、
 早苗饗や 岩々に月うすみどり   石川雷児
 馬も潔め 早苗饗の酒 はじまれり 木附沢 麦青
など「さなぶり」を詠んだ句があったからです。
 私も小学校時代に農繁休業を経験した人間ですから、「さなぶり」の言葉は知っておりますが、さて具体的にどんなことをやったのかとなると、はっきり分かりません。
 それで、日頃から花室の生活習慣のことで不明なことがあるとたずねては指導を受けている、元檀家総代の小田倉幸一さんを早速訪問し、訊いてみました。小田倉さんは、この地域のさなぶりについて次のように説明して下さいました。

 花室地区の農家全体の田植えが終わる頃、「さなぶり」の日が決められます。その日はどの家も、全ての農作業を休んでモチをついたり、てんぷらを揚げたりとごちそうを作って、それを田植えを手伝ってもらった親戚や村内の農家に届けます。これは「田植えという大きな農作業が皆さんの力を借りて無事に終わりました。ありがとうございました。」という感謝の気持ちを表したものです。
 確かに、早苗饗の饗の字は「饗応」とか「饗宴」などに使われ、感謝の気持ちをこめて酒食を「もてなす」という意味があります。
 小田倉さんは機械化の進んだ現在と違い、牛馬で代掻きをして人手を借りながら植えていた時代の田植えは、それこそ大変な労苦をともなう作業で、「まさに朝は朝星、夜は夜星でしたよ。」と、その当時の農家の一刻をあらそう繁忙の時期を説明してくれました。そしてそれだけに、田植えが終わって「さなぶり」を迎えた時の喜びは、とても喩えようのない喜びだったとも言っておりました。

 昭和40年代前半、研究学園都市建設に伴う土地の買収により、この地域の農家の経営形体も徐々に変化を遂げ、それと同時にこの「さなぶり」の風習も行われなくなっていったようです。
 地域共同体が力を合わせて一つの大事を成し終えたことを感謝し合い喜び合うという「早苗饗」も、時代の動きの中で姿を消しやがて言葉そのものが死語となるかも知れません。
しかし「さなぶり」という言葉は消えても、「ここぞ」という時には地域が一丸となって協力し合う気持ちと行動力は、いつまでも残していきたいと思います。
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覚王寺だより
第45号
平成20年5月31日(土)
■「気象記念日」と「時の記念日」■
 6月1日は気象記念日です。明治8年(1875年)6月1日に、現在の気象庁の前身である東京気象台が設置され、一日に3回の気象観測を開始しました。明治17年6月1日からは国民に対して「天気予報」を発表するようになり、これらのことを記念して昭和17年に6月1日が気象記念日に制定されたようです。

 今や、私達の生活にとって天気予報は不可欠のものになりました。明日やあさっての天気のみならず、さまざまな計画を立てるために何日も先の天気を予測することがあたりまえのようになっています。そして宇宙衛星を駆使するなど、観測技術の進歩もめざましく、非常に精度の高い予報で私達の期待に応えてくれております。
 それでも、楽しみにしていた計画などの日に予報がはずれて雨になったりすると、「全く天気予報は当てにならないんだから」などと怒りの矛先がたちまち気象庁に向けられます。

 「夕焼けがきれいだから明日は良い天気だ」とか「蛇が木の上にいたから大雨になるかも・・・」などという天然自然の動きを相手にした、それでも比較的確率の高い天気予報で満足していた昔の人達からみれば、現代の詳細な予報は驚くばかりだろうと思います。
 地震の予測を含め、気象観測の技術は科学の開発と相まって今後さらに発展するでしょう。どこまで私達の要望に応えてくれるようになるのか、それこそ予測がつかない気がします。

 6月10日は時の記念日です。時間の尊重と厳守を目的として大正9年(1920年)に生活改善同盟会によって制定されました。
 今をさかのぼる1337年前の天智10年(671年)4月25日に、天智天皇が水時計の一種である漏刻(ろうこく)を朝廷に置き、時を知らせる制度を設けたと言われ、この日を新暦に換算して6月10日にしたと言われています。
 奈良時代、律令制度のもとでは朝廷の組織に漏刻博士という時間を管理するための高級役人を置いて、特に役人達の勤務時間の厳正化を図ったのです。まさか奈良時代に、勤務の途中「中ヌケ」して水泳に行ってた役人がいたわけではないでしょうが、ともかく時間に対する意識は現代よりも高かったようです。
 役人のみならず一般大衆誰もが、日中陽のあるうちに目いっぱい働いて定められた税(租、庸、調)を納めなければならなかったわけですから、まさに「タイム イズ マネー」だったのです。
 ある本で読んだのですが、平安時代、朝廷に勤める役人の出勤時間は夏が4時、冬が6時だったそうです。電気のない時代の生活は太陽の光が頼りだったわけで、昼間に精いっぱい働き、暗くなったらグッスリ休むというのが基本だったのでしょう。
 夜も昼もなく24時間(四六時中)いつも活動している現代社会にもいくらか取り入れたいリズムのような気がしますが、いかがでしょうか。
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覚王寺だより
第46号
平成20年6月15日(日)
■「家族の絆」とは■
 今、NHKテレビの朝の連続ドラマで「瞳」という番組をやっています。
毎朝観ている方も多いと思いますが、我が家でもこのドラマを観るのが朝の日課になっています。主人公の一本木瞳という若い女性が、ダンサーをめざして北海道から東京の祖父のもとへと上京し、ダンスの練習に励みながら、周囲の人達との関わりの中で人間として成長していくという物語です。
 主人公瞳の祖父(西田敏行が演じている)は、下町で洋品店を営みながら3人の子どもの「里親」になっている好人物です。
 両親の離婚その他さまざまな理由で保護者が子どもを養育できない状況のため、私立・公立、各種の福祉施設で生活する子ども達は、今全国で4万人を越えるそうです。そして、その子ども達を自分の家庭に引き取って我が子のように育て上げている里親は2400人いるそうですが、これは誰でもができるわけではなく、里親にふさわしい一定の必要条件をクリアし、その上ちゃんとした研修を受けて初めて認められます。

 ドラマの中では3人の子ども達がたびたび孤独感や疎外感に追い込まれて、心の挫折を味わう場面があります。そんな時、里親の西田敏行が顔をくしゃくしゃにして子どもを抱きしめながら、「○○はお父ちゃんの子だからな!」と何度も言い聞かせます。例えドラマの中の演技とは言え、「里親」として「他人の子」を育てる者のご苦労を実感させられます。
そして、その芯からわきあがるばかりのやさしさに胸を打たれます。ドラマだ、作り話だとわかっていながら泣かされてしまうのです。それも朝から。

 ところで、私はこのドラマを観ていて、本当の「家族の絆」とは何だろうかと考えることがあります。
 ドラマの中では、苗字の違う子ども達が里親の「お父さん」を慕いながら、血のつながった家族以上の「一つの家族」の姿を表現しています。しかしながら、一つ屋根の下で互いに自分の心を正直にぶつけ合いながら、理解し合って生活していくのは、現実の家族同士でもそれほど簡単にはできなくなってきているようです。

 先日(6月8日の日曜日)、歩行者天国で賑わう秋葉原にトラックで突入し、凶刃を振り回して何の関係もない8人の命を奪った25歳の犯人も、その生い立ちや家庭環境には多くの問題があったようです。また、少しさかのぼって4月に荒川沖で起きた殺傷事件の犯人も、家族からの過大な期待感に抑圧され、屈折した感情があのような人間性を作ってしまった(ある評論家の話)と言われています。

 いずれにしても、この2人の犯人と彼らを取り巻く家庭環境に共通しているのは「彼らの思いを理解する人がいなかった」ことと、「彼ら自身、自分の心を正直に外へぶつけるすべを知らなかった」ということだと思います。
人間は誰でも、多かれ少なかれ、青春のある時期に反抗期を経験します。
私は中学校の教師をやってきて、それこそ沢山の手に負えない反発をする子ども達を見てきました。
しかし、その子どもらがズーッと大人になっても反抗期のままかと言ったら、そんなことは全くありません。
むしろ、やさしい、もの分かりのいい大人に成長しています。
むしろ心配なのは、反抗すべき時期にその経験をしなかった子どもです。
 「絆」の意味は「断ち難いつながり」です。血縁で構成される家族には、里親による家族以上の絆があるべきなのだろうな、と今朝もテレビの前で思うのであります。
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覚王寺だより
第47号
平成20年7月1日(火)
■「家族の絆」とは■
 恒例の曹洞宗特派布教会が6月19日(木)、石岡市小倉(旧八郷町)の善能寺を会場にして行われました。覚王寺の代表として中山和男護持会会長と私の二人で参加してきました。
 今年の布教師は福岡県久留米市の観興寺住職、中嶋道成老師でした。
 老師はまだ59歳の若々しい方ですが、その物腰や話し方には十分に修行を積まれた高僧の雰囲気がありました。老師のお話の中心は、曹洞宗のご開祖である道元禅師さまがご自身の著書の中でたびたび説いている「愛語(あいご)」についてでした。

 道元禅師は、その著「正法眼蔵」の中で愛語について次のように教えております。
 「愛語は愛心よりおこる。愛心は慈心を種子とせり。」(種子は“しゅうじ”と読みます)つまり、「愛語とは相手を愛する心があって初めて伝わる言葉であり、その愛する心は互いに慈しみあう心から生まれるものだ」と言っているのです。

 よく「言葉は思いのあらわれだ」と言われます。ですから、言葉は単なる気持ちの伝達手段ではなく、自らの人格を表現するものなのです。粗雑で相手を傷つけるような言葉を平気で使っている人は、自らの言葉で自らの人格を否定しているのです。

 お釈迦様の「言葉」に関する教えのひとつに、「人は口の中に斧をもって生まれてくる。そして悪い言葉を語ることによって、その斧で自分自身を斬るのである」という、ずいぶん恐ろしいイメージの言葉があります。つまり、自分自身を斬るとは、自分の人格をこわしてしまうということであり、それぐらい言葉の持つ力は大きいということなのです。

 江戸時代、庶民の中に生きた名僧、良寛禅師は言葉についての戒めとして次のことをあげています。
 「言葉の多過ぎ、話の長過ぎ、手柄話、自慢話、負け惜しみ、減らず口、心にも無きことを言う、人の傷つくことを言う、親切気にものを言う、陰口、噂話」
 こう列挙されると誰にも思い当たることがあるのではないでしょうか。
そして良寛禅師もまた、自己の人生の指針として「愛語」を大切にしていました。
曰く「慈念衆生、猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり」と。(赤子を慈しむような、そんな優しい気持ちをもって話しかけるのが本当の愛語です、という意味です)

 良寛禅師から300年を経た現代、これほど言葉が乱れている時代はないと言われております。粗雑な言葉の横行は、世の中そのものの乱れを生み、愛心も慈心もない人々の行動は、生命を軽視する社会の風潮に拍車をかけてしまいます。
 誰もが感じているこういう悪しき傾向には、早い時期に何らかの方法でブレーキをかける必要があります。
 私はその第一歩は何といっても家族間での言葉のやりとりにあると思います。そして、親子間、夫婦間に於ける最も不可欠で代表的な愛語は「どうもありがとう」だと思います。
 一般的に世の中のご主人方の多くは「どうもありがとう」はよそ様にお礼を述べる時に使うもので、夫婦間では使わないものだと永い間封印してしまっているようです。
しかし、決してそうではありません。
「どうも」だけでも十分に通じますから、奥さんに言ってみましょう。勇気を出して!!
今夜の晩酌のお酒が一本ふえることは間違いありませんから。 
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覚王寺だより
第48号
平成20年7月15日(火)
■「花室小唄」を踊りませんか■
 ♪祭りが近いと汽笛が呼ぶが・・・・洗いざらしのジーパンひとつ・・♪の歌詞で始まる五木ひろしの「ふるさと」という歌は、故郷を遠く離れて暮らす若者の故郷への想いをしみじみとうたった名曲です。
 日本にはそれぞれの地域に、それぞれの形で引き継がれてきた有名無名、大小さまざまな祭りがあります。花室にも7月末に行われる八坂の祭りがあります。小さい頃の私にとっては、夜、青年会の人達が練習するお囃子の響きはお祭りが近いことと、もうすぐ夏休みだという楽しい気持ちをかきたててくれました。
 このお囃子も、青年会がなくなった今は、子どもお囃子会に受け継がれています。
 先日12日の土曜日から、公民館でそのお囃子の練習が始まりました。私が公民館を訪ねた時は、花室お囃子保存会の方々の指導で子ども達が一生懸命練習していました。

 そのお囃子の練習後、私は子ども会の皆さんに「お祭りの時に花室小唄を踊ってもらいたい」とお願いしました。昨年は時期的に間に合いませんでしたが、今年は地元花室で踊りの先生として活躍している中島和子さんの協力で振り付けもできました。
子どもからお年寄りまで誰でも踊れるものだそうですので、是非皆さんで踊ってほしいと思います。
 自分たちが生まれ育った花室に、みんなで踊れる「花室の踊り」があって、それを夏祭りにみんなで踊ることで、結果として「ふるさと花室」を愛する心を育てられれば何よりだと思います。
 今お囃子にがんばっている子ども達の中にも、いずれ将来は花室を離れていく者もいるでしょう。
しかし、7月の末になって夏祭りの時には故郷を想い出しながら踊りの輪の中に帰ってくることを期待したいと思います。

 練習会の予定はお囃子の練習日に合わせて14日(月)、16日(水)、18日(金)、21日(月)、22日(火)となっています。21日を除いては、夜8時過ぎになりますが、子ども会の保護者の皆さん、「TX音頭を楽しむ会」の方々、及び花室地区有志の方々の積極的な参加を期待しております。


◆第2回親子坐禅会の案内◆
1.日  時 8月1日(金)、2日(土)  午前9時~11時30分
2.場  所 覚王寺本堂
3.参加条件 小学1年生~6年生(子どもだけの参加も可)(一日のみの参加も可)
4.参 加 費 500円(おやつ、飲み物代)
問い合わせ先 覚王寺  TEL:857-3636

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覚王寺だより
第49号
平成20年8月1日(金)
■「花室小唄」を踊りました■
 去る7月26日(土)、夏祭りの一日目、地区内を一回りしたおみこしがお仮屋である公民館におさまった頃、時間的には午後6時から子ども達と有志の方々で「花室小唄」を踊りました。
 練習も十分ではありませんでしたが、子どもおはやし会の子ども達やその世話人の方々、そして花室地区の踊りの会の方々が、中島和子さんの指導のもとで熱心にとり組んでくれました。
 私は、本当はおはやし会の子ども達ばかりでなく、花室の子ども会の子ども達にも参加して欲しかったのですが、今年は連絡が不十分だったこともあって、そこまでは実現できませんでした。
 しかしながら、とにかく花室にしかない花室だけの踊りが出来上がって、祭りの日にみんなで輪を作って踊れたということは、まず目標に向けての第一歩が踏み出せたものと思います。
 どんなことでも、計画して立ち上げて軌道に乗せるまでには、それなりの時間がかかるものです。あせらず、急がず、少しずつ地域の理解を得ながら踊りの輪を広げていければいいと思います。
 踊りが終わった後、数人の有志の方々と我が家でお茶を飲みながら反省会をやりました。皆さんそれぞれ、積極的な意見を出してくださいましたが、すべて花室を愛する気持ちに裏打ちされた立派な考えでした。話をしながら、この人達の意欲がある限り「花室小唄」は間違いなく広がっていくと確信しました。
 民謡「阿波踊り」の中に、次のようなハヤシことばがあります。
「踊る阿呆に、見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン・・・」。
みんなで踊れば、気持ちも一つになります。子ども達には故郷を愛する心が育つはずです。
次回は、是非みなさんで踊りましょう。

■8月11日(月)、薬師万燈です■
 今年も薬師万燈(薬師さま)が近づいてきました。
 昨年、初めて石段から薬師堂まで、ろうそくの明かりで花道を作ってみました。お参りに来た人達が、その幻想的な雰囲気を楽しんでくれました。
 そこで、今年も6時30分にろうそくに点火して、皆さんをお迎えしたいと思います。
 天候にさえ恵まれれば200本のゆらめくろうそくが闇の中に輝いて、薬師如来へと導いてくれます。
 是非、暗くなってからお参りされることをおすすめします。

 ※8月15日は休刊とさせていただきます。(お盆のため)
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覚王寺だより
第50号
平成20年9月1日(月)
■感動のオリンピック、いくつもの涙■
 8月8日から始まった北京オリンピックは、私達にたくさんのドラマと感動を見せてくれて、25日に閉幕しました。時差が1時間という北京は、テレビの中中継でもほとんど日本の時間と変わらないので、ついつい好きな競技を応援するあまり、生活がオリンピック中心になってしまったのは私ばかりではないと思います。
 同じ時期に熱戦がくりひろげられていた高校野球は気の毒なほどで、特に常総学院が1回戦で負けてしまったせいもあって、私達の周りではほとんど関心が持たれなくなってしまいました。
決勝戦で17対0という記録的な勝利を収めた静岡代表の常葉菊川高校のヒーローたちも華やかなオリンピックの話題の陰にかすんでしまいました。

 私はオリンピックは4年に一度行われるスポーツの祭典というところに大きな意義があると思います。つまり、オリンピックで連続して金メダルを獲るということは、5年間世界のトップの地位を維持し続けるということです。その意味で水泳、平泳ぎの北島康介選手の金メダルは大変な価値があると言えます。いつも強気で「有言実行」を自認していた北島選手が100メートル平泳ぎで一位になった時、泣きながらテレビのインタビューに答えていました。
「北島は間違いなく金メダルを獲る」という日本国民の期待に応えるべく、彼は「絶対に金メダルを獲る」と公言し、あえて自分にプレッシャーをかけながら、それをバネにして厳しい猛練習に励んできました。
その精神的重圧は、とても我々の想像の及ばないものだったに違いありません。それだけに「金メダル」という目標を達成した喜びは図り知れないものであり、テレビカメラの前での男泣きになったのだと思います。

 北島選手と同じような場面が、オリンピックの多くの種目で見られました。数え上げたらきりがないほどですが、その都度いっしょになって喜び、あるいは涙を流しました。
 テレビという媒体を通して感動をもらい、「ああ、自分は日本人だ」ということを、日の丸があがるのを見て再確認するという共通体験をみんなでしたのです。
そんな機会を与えてくれただけでも、金メダルの選手には全員に「国民栄誉賞」を与えたいと思います。今の日本の政治家や企業家に、瞬時とは言え、これほどの感動を与えてくれる人は残念ながらいないのですから。

 ところで、メダルに輝いた選手達の一方で、十分な結果を残せなかった選手もたくさんおりました。私は、是非、彼らのがんばりこそ大いに讃えて「国民の期待」という重圧から早く解放してあげたいと思います。
「オリンピックは参加することに意義がある」と言いますが、現実は誰も自国の期待を背負って「勝つ」ことを目指して出てきます。当然ながら、勝者がいれば必ず敗者がいるのであり、その敗者に対しても惜しみない拍手をおくるのもオリンピックの精神だと思います。テレビや新聞など、マスメディアも勝者ばかりをとりあげるのではなく、健闘むなしく敗れて一人涙をぬぐう選手に対しても、いたわりとねぎらいの言葉をかけてほしいと思います。孤独な涙こそ、みんなで分け合うべきなのです。
 次のオリンピックは2012年、イギリスのロンドンで開催されます。
 どんな選手が活躍して私達に感動を与えてくれるか、楽しみに待ちましょう。4年なんてすぐですから。
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覚王寺だより
第51号
平成20年9月15日(月)
                       しょうじ      ねはん      
■生死すなわち涅槃と心得よ■
 曹洞宗の根本教典であります道元禅師の「修証義(しゅしょうぎ)」の冒頭に、『生死の中に仏あれば生死なし、ただ生死すなわち涅槃と心得て生死として厭うべきもなく、涅槃として欣うべきもなし。』という教えがあります。
 生死とは、簡単に言えば「生老病死」の苦しみです。人間としてこの世に生を受けた者が死に至るまでの間、誰もが避けられない苦悩、いわば四苦八苦です。
 ただ道元禅師は、この苦悩であるところの「生死」をして、修行の最終到達点、即ち悟りによって得られる安らぎの境地である
「涅槃」と心得なさいと教えているのです。
 逃げ出したいような「苦痛」を心おだやかな「安らぎ」として受け容れることなど、俗人にはとても出来るものではありません。 仏道に於ける修行というのは、そういう心の持ち方の訓練なのかと思いますが、この「修証義」の冒頭の文言を読むたびに、私はまだまだ人間として修行ができていないなと痛感するばかりです。

 ところで、中国の北京ではオリンピックに続いて、身体障害者の国際的なスポーツの祭典であるパラリンピックがくりひろげられ
ています。
 身体障害者の競技とは言っても、陸上、水泳、球技、乗馬などなど、ほとんどオリンピックと同じ種目が行われます。
 車イスバスケットでボールを奪い合って、車イス同士が激しくぶつかったり、陸上の最後のスパートで追い抜き合って車イスが転倒する様子などは、これが身障者のスポーツかと思うほどに迫力があります。

 私は、テレビや新聞で選手の活躍ぶりを見ていてつくづく思うのは、どの選手も「自分の障害との闘い」に勝って北京まで来ているということです。先天性の障害者で、幼い時にあるスポーツに出会って力を伸ばしてきた選手もいますが、多くの選手は人生の中途で事故や病気で障害のハンディを背負ってしまったケースです。それまでの五体満足な状態から一転、車イスの生活を余儀なくされた時の、まさに不幸のドン底に突き落とされた心境は、察するに余りあります。いや、今健常者として生活する私などには、とても理解できない深い苦悩だったと思います。
 選手の中には頸椎損傷で下半身まひを知った時、何度も死ぬことを考えた人もおります。 
しかしながら、彼らはスポーツに出会い、周囲の温かな支えと自らの強い気力でドン底からはい上がり、ついにパラリンピックの選手という栄光をつかむに至ったのです。

 その状況は、まさに自己の「生死」を正面から直視し、体のハンディという現実から逃げずに「涅槃」として受け容れることで、新たな道を力強く歩んだものと言えます。道元禅師の教えを、身を挺して我々に示してくれていると言えます。
 今朝も、右半身不自由ながらも「馬術」の競技で活躍した渋谷豊選手(49歳)の「馬は人を区別しませんから。」というコメントに、彼が歩んできた厳しい人生を想像し、感動詞ながらパラリンピックの記事を読んでいます。
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覚王寺だより
第52号
平成20年10月1日(水)
                       しんむけいげ      けいげ      
■心無罣礙(心に罣礙無し)■
 「心無罣礙」は有名な「摩訶般若波羅蜜多心経」の中に出てくる経文です。
 「罣礙」とは仏教用語で「さまたげ」とか「こだわり」を意味します。
 ですから、「心無罣礙」とは「心にこだわりが無い」ということで、あたかも天高い秋の空のように澄みきった心の状態を表現し
たものです。

 私達凡人は何をするにつけ、心に「こだわり」を持たずに事を進めるということは不得手です。私は若い時分(高校生から大学生
の頃)剣道に打ち込みました。その頃は、とにかく相手よりも早く面を打つという、いわば「技を磨くことのみ」に執着していて、
「心」の持ちようなどは考えもしませんでした。
「近代剣道にはスピードとパワーが必要だ」という専門家の説に感銘し、体力をつけることに人一倍時間をかけました。大学の道場
から渋谷の日本ボディービルセンターに直行し、当時の有名なプロレスラー(ジャイアント馬場や豊登)にまじってボディービルに
専念したのもその頃でした。
 
 しかし、私は大学では最後までレギュラーにはなれませんでした。練習ではそれなりの力を発揮するのですが、いざ試合になると
「勝ち」を意識するというか「勝ち」にこだわるというか、リラックスできずに体が思うように動かなくなってしまうのです。そん
な弱点のある者を大学の剣道部では、とてもレギュラーとして使ってはくれません。

 その後中学校の教員になり、野球部の監督を務めるようになってから、チームの中に私と同じような「こだわり」に負けてしまう
タイプの生徒をしばしば見かけました。その生徒には自分の体験から「ここぞという時、いかにリラックスするか」を指導してやり
ました。ですから私は中学校の教員になって生徒を指導しながら「技術プラス心」の必要性を学んできたのです。

 そんな自分自身の体験は、野球部以外の子どもたちの指導にも大いに役立ちました。いわゆる「ツッパリにいちゃん」は時分の強
すぎる心への「こだわり」に悩む少年の形態の一つですし、「不登校」におちいってしまう子どもは目に見えない心の「さまたげ」
に負けているのです。
 両者ともその行動は極端ですが、共通しているのは共に切実な心からの訴えを表しているのです。
ただ、そんな子どもたちは温かな支えと適切な指導さえあれば「こだわり」や「さまたげ」をバネにして大きく成長していきます。
むしろ平々凡々と波風無く少年期を過ごした者よりもずっと分別ある逞しい大人になっていると思います。

 ところで、私は現代の子どもたちの周りには、悩むべき「こだわり」や「さまたげ」すなわち「罣礙」が少なすぎるような気がし
ます。その原因は親や学校が初めからそれらを取り除いてしまっているからのような気がします。
 人間は死ぬまで成長し続ける生き物です。特にその心の面に於いては学ぶ心さえあれば無限に成長すると言われます。
 ましてや幼年期~少年期には、心身の成長ために必要な「罣礙」があるのです。その障害に突き当たり、悩んだり苦しんだりして
自力でそれを乗り越えた時、人は一回りも二回りも人間的成長を遂げるのです。
 季節はすっかり秋になりました。ウォーキングの途中で見上げる空もきれいに澄み渡っています。
 まるで「心に罣礙を持つべからず」と教えているようです。
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覚王寺だより
第53号
平成20年10月15日(水)
                         
■「お地蔵さま」の役割■
 覚王寺の墓地の入り口に石のお地蔵さまが立っているのは、皆さんご存知のことと思います。ではお地蔵さまは「どんな役割(力と言ってもよいでしょう)を持った仏様か」となると、よく分からない方もいるかと思います。
 そこで、今回は私たちの身近にいる仏様であります「お地蔵さま」について考えてみます。

 お地蔵さまは正式には「地蔵菩薩」と申します。
 菩薩(ぼさつ)とは「如来=悟りに至った人」になることをめざして修行中の仏様のことです。
 ちなみに如来と呼ばれるのは、釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来だけで、あとは菩薩です。
 観音、文殊、弥勒、日光、月光などなど、菩薩と呼ばれる仏様はたくさんあります。

 地蔵菩薩さまの特徴の一つは、死者が地獄に落ちてひどい責め苦を受ける時、身代わりの役目をしてくれるところにあります。
 さらに死者の魂を鎮めたり、死の苦しみから救うという力があるとされることから、墓地の入り口に立っていることが多いのです。
 また六地蔵については、六道(ろくどう又はりくどう)の世界で迷い苦しむすべての生き物を救う役目をもっているとされています。
ですから六地蔵も共同墓地の入り口に立っていることが多いのです。
 なお六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの世界(我々人間が、過去、現在、未来に体験した、あるいは体験するであろう世界)を指します。

 さらに時折路傍で見かけるお地蔵さまは、他界や外界との境に在って、疫病や悪霊の侵入を防ぐという力を持つとされ、いわゆる道祖神と共通に扱われています。
 亡き人の苦しみの身代わりになったり、子育ての役割を果たしたり、道中の安全を守ったり、オールマイティーに私達の願いをきき容れてくれるお地蔵さまは庶民にもっとも身近な仏様と言えるのではないでしょうか。
 
 いま覚王寺のお地蔵さまは、赤いきれいな帽子をかぶり、前垂れをかけています。
 これは老人会長の飯野昌子さんが手作りして奉納して下さったものです。それ以前には、久松光さんが作って下さってました。
 お二人の供養の心に皆様と共に感謝したいと思います。

※だいぶ雑草が伸びている墓地(まだ仏様のない墓地が多い)がありましたので、寺から業者さんを頼んで清掃をしました。
 彼岸前、盆前には清掃に心掛けましょう。
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覚王寺だより
第54号
平成20年11月1日(土)
                         
■笑いの効果■
 1億総グルメと言われる現代では、かつてに比べ誰もが美食・過食に陥りやすく、およそ七人に一人が糖尿病かまたはその予備軍
だと言われています。
 糖尿病にかかると血糖値が上がり、結果としてさまざまな病気を引き起こすもとになります。かく言う私も、生来の甘いもの好き
がたたり、最近血糖値が基準値をオーバーしてしまい、時々メディカルセンター病院で血液検査を受けております。

 ところで、この血糖値について筑波大学名誉教授の村上和雄先生は次のように説明しています。
 「糖尿病の患者は、特に食事の後に血糖値が上がりすぎて困るのだが、患者20人に食後むずかしい大学の講義を1時間聴かせたら
、平均で血液100ミリリットルあたり122ミリグラム血糖が上昇してしまった。同じ患者に食後、吉本興業のお笑いを楽しませたら、
平均で75ミリグラムしか上昇しなかった。」
このことから教授は、人間にとって笑うことは遺伝子を活性化させ、血糖の上昇をおさえる力をもっていると述べています。

 私たちの人生は、まさに喜怒哀楽のくり返しですが、よく「笑う門には福来る」といいます。よく笑う人、常に笑い声の絶えない
家には、自然と幸せがやってくるものなのです。
 よく笑う人は、大体が心が寛大で機知に富んだ頭の回転が早い人です。
 また家族間に笑い声があふれているのは、家族が健康で明るい雰囲気に満ちている家であり、家族同士に十分な心の一体感がある
のです。
逆に笑いの乏しい家族の場合は、当然その反対の状況が考えられると言えます。

 お釈迦様は「人に笑いを施せ」と教えています。
 人間には誰にも「あの人はどうも好かない」なんて相手がいるものです。そうすると、相手の方でも同じような感情をもっている
もので、互いの心の距離はどんどん離れていってしまいます。そんな人にもちょっと我慢して(これがむずかしいのですが)笑顔で
接していくと、不思議なことに相手も笑顔で寄ってくるのです。そしてそこから新しい付き合いが始まるかも知れないのです。

 大声で笑うことで健康な生活が送れ、笑顔を交わすことで豊かな人間関係が広がるとしたら、こんな素晴らしいことはありません。
 とにかく家庭、学校、職場の誰もが明るく陽気に笑顔をモットーに生活していけば、ストレスや病気には縁のない人生を送れるの
ではないでしょうか。
 江戸時代に「養生訓」を書いた貝原益軒は、「人間は怒らず明るく養生に努めれば、125歳くらいまでは生きられる」と主張し、彼自
身そのように努めて83歳まで生きました。人生50年と言われた当時としては、大変な長寿だったと言えます。おそらく、友達の多い明る
く元気な人だったのだろうと思います。
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覚王寺だより
第55号
平成20年11月15日(土)
                         
■日本の教育水準■
 現在、我が国では義務教育である中学校を卒業する者の98%以上が高等学校へ進学します。学習塾など教育関係産業は相変わらず
活気があり、受験期の子どもたちは夜の9時~10時まで塾での勉強に精を出しています。海外でも日本人が住む所には必ず日本人学
校が存在し、私の知人にも海外の日本人学校の教師として赴任していった者が多くおります。

 このように日本人の教育熱心を示す例は多いのですが、これは今に始まったことではないと言われています。
 東京大学を始めとする多数の有名大学が集まることで有名な東京の文京区には、幕末つまり江戸時代の終わり頃には32の寺子屋
があったそうです。その中のひとつで文化8年(1811年)に開業された松栄堂という寺子屋について次のような記録があります。
 「松栄堂の指導者は3分の2が武士で、残りは僧侶と平民であった。中には女性の指導者もいた。寺子屋での教育はいわゆる読み・
書き・そろばんが中心だったが、特に武士と医者の子弟には習字を、商家の子弟には算術を重点的に教えた。個別の授業も重視され、
問題ができなければ居残りで教師から厳しく指導されることも珍しくなかった。定期的な試験があり、成績は評価されて親のもとに届
けられた。」

 これらを見ると、現代の学校とほぼ同じような指導のシステムがとられていたように思われます。また、寺子(生徒)の就学年限は
基本的には6年とされ、義務教育ではありませんから親は月々の月謝を支払うわけで、その負担は決して軽くなかったようです。しかし
記録には、小石川や駒込の農民の子どもも通ってきていたとあり、当時の人々の教育熱の高さが窺われます。

 黒船を率いて突如浦賀に来航し、江戸幕府に開国を迫ったペリーは、後に日本人の教育熱心な様子を次のように述べています。
 「日本では書物がよく売れている。これは広く人民が読み方を習得していて、見聞を得ることに熱心なためである。」
 その他、開国と共に於く俗と来日してきた各国の使節らも、異口同音に日本人の読み書き能力が先進国であるはずの自分の国以上の
高さであることと驚いています。
 
 今から150年以上も前の幕末期に諸外国から高く評価されていた日本の教育水準が、ここに来てなぜ世界の中で劣ってしまったのでし
ょう。
 私は、文科省の方針で、学校で読み・書き・計算の学習に時間をかけなくなったことに、その一因があると思います。あらゆる学習
の基礎・基本たる読み・書き・計算をないがしろにして、豊かな思考力も斬新な想像力も育つはずはないのです。国は小手先だけの教
育改革に走ることなく、国家百年の大計を見据えたどっしりした教育行政に取り組んで欲しいと思います。

【合同供養の予定】
12月14日(日)午後1時より(12時半から受け付け)
護持会総会も行われますので、ぜひご参加下さい。

※次回の覚王寺だよりはお休みします。
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覚王寺だより
第56号
平成20年12月15日(月)
                         
■師走に想う■
 12月のことを師走と言いますが、これは日頃めったにあわてたり急いだりしない高僧でさえも、西に東に走り回るほど、忙しい月
だということからこのように呼ぶのだといわれます。曹洞宗の大本山であります永平寺や総持寺では、12月なると摂心会(せっしん
え)や冬安居(ふゆあんご)という修行僧たちにとっては大変厳しい修練の行事が在り、それが終わると大晦日まで除夜・新年の準
備が続きます。まさに僧侶が駆け回る毎日なのです。

 覚王寺でも12月14日に年末最大の行事であります「合同供養」が護持会の役員さん方の協力を得て無事に終わりました。覚王寺に
とっては、この「合同供養」を迎えるまでの諸準備が師走の忙しさと言えます。半月以上も前から境内の樹木の手入れのために植木
屋さんに来てもらい、その片付けにシルバー人材センターの方々の手を借り、本堂の大掃除には親戚の者の協力ももらいます。しか
しこうした準備の忙しさと合同供養を終えた時の満足感は、私にとって「ああ、これで今年も終わりになるんだ。」と一年のしめく
くりを実感するものでもあります。

 ところで今年の「冬至(とうじ)」は12月21日です。冬至には午後の4時過ぎにはもううす暗くなってしまいます。この日は柚子
湯に入って体を暖めて、夕飯にはカボチャやお粥を食べるという習慣があります。このような季節の変化を味わいながら年の瀬を感
じ、新年を迎えるための物心両面の準備をするというのも、あわただしい中での一つの喜びと言えます。
 ただ、今の社会全体の動向から見ますと、100年に一度と言われる世界的な不況の中で、大企業による派遣職員に対する突然にし
て大量の解雇が相次ぎ、決して喜んでばかりいられない現実があります。
 この冬空の下で職を失って路頭に迷う多くの人たちは、どんな気持ちで師走の日々を送っているのかと思うと、心痛むものがあり
ます。まして私たちの身近にも、そうした厳しい現実にさらされている知人がいることを考えると、単純に浮かれた気持ちで新年を
迎えてよいものかと思ってしまいます。何とかこの経済的苦境を打開してくれる力強い国策を期待するものです。

 漢字検定協会が選んだ今年の世相を表す漢字は「変」だそうです。
 去年が「偽」で、どうもあまりまともな字が選ばれておりません。来年こそ、何か世の中の勢いがよくなってきたことを表すよう
な漢字がえらばれるように、それこそ「変」ってほしいものです。
 12月31日の大晦日には、恒例の年越し坐禅(午後10時から)と除夜の鐘撞き(午後11時から)を行います。自己の煩悩をふき払う
と同時に、不況の嵐を吹き飛ばすべく、皆さん除夜の鐘を撞きに来て下さい。甘酒とみかんを用意して待ってます。

今年一年間「覚王寺だより」を読んでいただき、ありがとうございました。
来年も月1~2号のペースで書いていきたいと思います。いつも配布に協力していただく区長さん、班長さん、各地区の役員さん方
に心から感謝申し上げます。
1月は15日号からスタートさせていただきます。
(少し早いですが)皆さん、良い年をお迎え下さい。
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覚王寺だより
第57号
平成21年1月15日(木)
                         
■坐禅会に来て下さい■
 平成21年、明けましておめでとうございます。とは申しましても、1月もすでに中半になり、正月気分の消えた世間には厳しい現実の
生活が戻って参りました。
 新聞を始めとするマスコミは、毎日のように世界的な金融危機による景気の低迷を訴えております。先日の読売新聞(茨城版)には、
平成20年の茨城県内の企業倒産件数は182件に上り、特に中小零細企業の倒産が全体の90%以上を占めたと書かれてておりました。
 また、不景気の影響からか、事件や自己も金銭にかかわるトラブルが多く目立ち、何だか年の初めから暗い世相を反映するようなニュ
ースばかりが目に付きます。
 私はこんな暗い社会情勢の時こそ、静かな心で自分自身の在りようを見つめる時間が必要ではないかと思います。今年、檀家の皆様に
配りました「宝暦」の1月のテーマは坐禅です。その中にこう記されております。

 *********************************************
 あわただしいこの世にも 安らぎの座がある
 それは静かな心である
 永遠に人間を力づけ 限りない活動の源泉となる
 静かな心で じっと坐りなおしてみよう
 *********************************************

 「忙しい」という字は「心を亡くす」と書きます。私たちは「忙しい、忙しい」と時間に追われている時には、少なからず自分を(自
分の心を)見失っています。そういう心の状態は大きな失敗を招きかねません。
 そんな時こそ、是非短い時間でよろしいですから、静かな心でじっと坐ってみて下さい。
 勿論、覚王寺では毎月坐禅会をやっていますので、それに参加していただくのが一番よろしいかと思います。しかし自宅の仏壇に線香
を一本立て、その前で坐っても効果はあると思います。詳しい坐り方の説明は、宝暦の26ページにありますので、参照して下さい。

 今、覚王寺の坐禅会には毎回15~20人ぐらいの方が参加してきます。地元つくば市の方がほとんどですが、わざわざ土浦市や桜川市、
遠くは東京から参加して下さる方もおります。月一回とは言え、朝9時からの坐禅会のために、仕事や家族との約束などを調整して出か
けてくるのは容易なことではありません。
 じっと坐る時間はせいぜい40分ぐらいですが、この40分の時間を確保するために費やす心の準備が大変なのです。
 私は坐禅会の方々を見ていて、月一回覚王寺で坐ることプラス出かけてくるまでの準備と強い意志が、彼らの日常生活にさまざまな効
果をもたらしていると思います。坐り終わったあと、会員の人たちとお茶を飲みながら話し合う中で、いつも自分には無い「力」を彼ら
から頂戴するのです。

 檀家の皆さんも、是非、坐禅会に来ていっしょに坐ってみて下さい。じっと坐っているうちに、新たな自分が見つけ出せるかも知れま
せんから。
お待ちしています。

1月の坐禅会:25日(日)午前9時~
      (初めての方は8時40分頃に来て下さい。坐り方を練習します。)
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覚王寺だより
第58号
平成21年2月1日(日)
                         
■大横綱の条件■
 去る25日の大相撲初場所の千秋楽は、結びの一番の横綱対決で白鵬が勝ち、8年ぶりになる横綱同士による優勝決定戦にもつれ
込みました。そして、決定戦では朝青龍が鋭い立ち会いから自分の有利な体勢に持ち込み、速攻で白鵬を一蹴して23回目の優勝を
ものにしたのです。座布団が舞い飛ぶ中で勝ち名乗りを受けた朝青龍は、満面の笑みでガッツポーズを見せました。
 朝青龍は左肘のけがのため、昨年後半の3場所を連続で休場しており、初場所の戦績いかんでは引退の声すら聞かれていました。
そうした前評判をものの見事に覆して14勝1敗という堂々たる成績で優勝したのです。その精神力と根性は、他の力士の追随を許
さないズバ抜けたものと言えます。

 元より朝青龍の勝負どころでの集中力は並はずれたものがありましたが、横綱として窮地に追い込まれた初場所は特にその勝負に
欠ける気迫には異常とも言えるものがありました。初日の稀勢の里戦での勝負が決まった後の追い打ちの往復ビンタ、11日目の大
関琴欧洲戦での倒れた上へのラリアート(空振りだったが)、これらおよそ横綱らしくないダメ押しの攻めは、朝青龍の勝負に対す
る執念なのでしょうが、当然のごとくマスコミの批判を受けました。

 土俵上での作法やマナーだけでなく、私生活の行動に置いても、これまで何かと批判されていた朝青龍ですが、それらの批判は
「でも勝負には強い」という一言で結果オーライ的に扱われています。
 しかし、はたしてそれで良いのでしょうか。
 相撲と同様に日本古来の格技である剣道では、たとえ一本をとっても、喜んでガッツポーズなどをしたら一本は取り消されてしま
います。剣道ではそういうルールを設けて競技の品格を尊重しているのです。
 それに比べて大相撲には、残念ながら格式を重んじようとする雰囲気は見られません。特に勝負が終わったあと、互いをたたえ敬
い合おうとする態度は全く見られません。
立ち合いも大事ですが、死力を尽くして激しく戦ったあと、勝者も敗者も二字口に戻って、丁寧に礼をしあう、そんな場面を見せて
もらいたいものです。これは相撲協会として努めていくべきです。

 朝青龍もあの貴乃花の22回を抜く23回優勝の大横綱になりました。ただ、大横綱というのは強さだけでなく誰もが認める人格
が備わってなければなりません。その点において、朝青龍はまだ大横綱というわけにはいかないと思います。
 今回の優勝で朝青龍は完全に復活したと言えます。まだ28歳ですから、あと2~3年は横綱として白鵬と共に大相撲をリードし
ていくでしょう。
 朝青龍の付き人で弓取り式をつとめる男女ノ里(上郷出身)は、「横綱は、本当はやさしく思いやりのある人なんですよ。」と言
います。
 それだけに、土俵の上での所作はもちろん、プライベートでの言動でも「さすがは大横綱だ」と評価されるようになってもらいた
いと思うのです。
 いずれにしても、大相撲ファンの私にとって青(朝青龍)と白(白鵬)が激突する3月の春場所がまた楽しみになりました。
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覚王寺だより
第59号
平成21年2月15日(日)
■先祖への誓いと感謝■
 人が亡くなるとお葬式をして、身内・親族あるいは生前に関わった多くの人たちとお別れをします。
 人間は誕生から成長して老いるまで、その節目節目でいろいろな儀式を行います。
 入学式、卒業式、成人式、入社式、結婚式etc.そして最後に人生に終止符を打ったことを社会の人々に広く告げる儀式として、お葬式があります。ですから、よく「立派な葬式だった」と言われるのは、故人が周囲から高く評価されるような人生を送ったか、あるいは立派と言われる子弟を育て上げたということだと思います。
いずれにしても社会通念上、葬式をし、火葬することをもってその人(の肉体)とのお別れをするのです。

 ところで、人は亡くなってから49日目にあの世(彼岸=ひがん)へ旅立つと言われます。故人の霊魂が現世から仏様のもとへ行って、ご先祖様になるという儀式であり、遺族にすれば別れがたい故人との精神的な離別が、49日の法要ということになります。
たとえ何日経っても、永く親しく生活を共にした人への思いは、断ちがたく想い出も尽きないものです。
 49日の法要は、ご先祖様になる故人に対し、安らかにあの世に行って下さいと祈ると共に、自分も新たな気持ちで再出発することを誓う機会でもあるのです。それは残された遺族の方々ばかりでなく、故人に縁あって法要に参列する方々も厳粛な気持ちで故人を送り、また自分の今後を心に誓う儀式でもあると言えます。

 そう考えると、当然ながら厳粛であるべき法要の最中に私語を交わしたりしてはならないのです。それは、故人やその遺族に対しはなはだ失礼な態度だと言わざるを得ません。

 曹洞宗では、1年忌のことを小祥忌(しょうじょうき)と言います。小祥とは「ちょっとおめでたい」という意味ですが、これは故人をあの世に送ってから1年が経って、遺族やゆかりの人たちが元気で法要に参加できることがおめでたいということです。
 また3年忌を大祥忌(だいじょうき)と言いますが、これは2年を過ぎてもなお、みんな元気で故人の供養ができるのはさらにおめでたいということです。
 ですから、逆に誰かが病気になってしまって故人の法要に参加できなかったり、最悪は後を追って亡くなってしまうようなことでは、小祥忌とも大祥忌とも言えないし、故人の霊を喜ばすことにもならないのです。
亡くなった人の分も元気で長生きしていることに感謝し、自分の夢や目標を実現して墓前に報告してこそ、先祖への何よりの供養と言えるのです。さらに言えば、年回にあたるとかあたらないとかに関わらず、折に触れて自分が元気で今在ることを感謝しながら墓参りをすることが大切なのです。

 覚王寺の檀家さんの中には、身内の方が亡くなった日、いわゆる月命日にはいつも墓参りをしている方がおります。
 気持ちはあってもなかなかできることではありません。私は先祖を敬い、ご恩の気持ちを行動に表していると、必ずや何らかの形で報われると思っております。
 もちろん、それは求めるべきものではありませんが、ずっと続けていると不思議なくらい良い報い(救い)があるのです。
 まずお仏壇をそうじして毎朝のお祈りから始めて下さい。南無釈迦牟尼仏(ナムシャカムニブツ)と三遍となえながら。
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覚王寺だより
第60号
平成21年3月1日(日)
■映画「おくりびと」アカデミー賞を受賞■
 2月22日、アメリカのハリウッドで開催された映画界最大の祭典、第81回アカデミー賞の授賞式で日本映画の「おくりびと」が外国語映画賞を受賞しました。
 アカデミー賞は、監督・俳優・制作者ら映画関係者約5800人からなるアカデミー会員の投票によって選ばれる権威のある賞です。
 今年は外国語映画の部には67カ国から出品があり、その中から「おくりびと」が選ばれたのでした。

 ところで、今回の映画のタイトルで一躍その名を知られるようになった「おくりびと」つまり「納棺師」いう職業ですが、一般にはなじみの
うすい、いわば陰の仕事と言えます。
 読売新聞の記事で知ったのですが、納棺師という職業が生まれたきっかけは、1954年北海道で青函連絡船「洞爺丸」など5隻が沈没し、1430人もの犠牲者を出した海難事故だと言われます。
 当時北海道で生花店を営んでいた遠山厚さんという人が、事故の衝撃で激しく損傷した遺体を一体ずつ拭き清めて遺族に引き渡し、大変に感謝されたそうです。その後、遠山さんは納棺を専門に行う会社を札幌に設立し、職業としての納棺師が生まれるに至ったわけです。

 映画では主演の本木雅弘が上司の山崎努の荒っぽい指導を受けながら納棺師という仕事を通して、自己発見をし、人間の死の尊厳さと生きることのすばらしさを再認識していきます。
撮影が行われた山形県庄内地方の美しくおだやかな四季のうつろいの中で物語が展開されるのも心癒されます。
 そんな映画ですから、「おくりびと」には派手なアクションも、ハラハラドキドキのスリリングな場面もありません。
 それでいて、アカデミー賞を受賞するという高い評価を受けたことについて、ある映画評論家は次のように述べています。『本木雅弘さんが演じる納棺師の所作の美しさは、海外の人から見るとサムライのように見えたのではないでしょうか。日本間で正座をして、一つ一つの手順を大事にしながら、死者に敬意を表する。そこには現代の映画でありながら、サムライ的なストイックさがあり、Tシャツにジーンズで生活する人々はとても驚いたのでしょう。』(2/24 読売新聞)

 核家族化が進み、三世代家族も減り、依然として少子化傾向に歯止めがかからない今の社会では、家族や親戚などいわゆる身内の人たちの死に直面する機会が少なくなりました。
人が幼少の時期に死の尊厳や死別の悲しみを心から実感することは、その後生きていく上で大きな意味を持ちます。つまり、他人の死を直視することで、命の尊さを体感し、自分の命の大切さを認識するのです。
 それに対し、今パソコンの暴力的なゲームなどで安易に命を奪い合ったり、さらにはゲームの繰り返しでさっき殺された人物がまた登場してくるような遊びをやっている子どもたちの中には、自他の命を粗末に扱ってしまう者が出てもやむを得ないかと思ってしまいます。

 私は仕事がらたくさんの死別の場面を見ておりますが、幼い子どもや小・中学生が葬儀の後の「お花入れ」の時に、故人と涙で別れているのを見ると、『この子は故人の死を心に刻んで、しっかり生きていくのだろうな』と思います。
 もちろん、ただ泣いて送れば良いというものではありませんが、極めて事務的に執り行われる葬儀というのもちょっと寂しい気がするのです。
 葬儀が派手であるとかないとかではなく、また参列者が多いとか少ないとかではなく、故人に関わるみんなが心をこめて故人の冥福を祈りながら「おくる」ことが一番だと思います。
そのうち、「おくりびと」のDVDが発売されたら、また観てみたいと思っています。


《お願い》
3月17日から春のお彼岸になります。墓地にあげる供花や供物については燃えるものだけをごみ捨て場に捨てて下さい。
ビニールや缶などは自宅へお持ち帰り頂くようお願いします。
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覚王寺だより
第61号
平成21年3月15日(日)
■日常語の中に見る仏教語(その2)■
 昨年の4月30日の第43号で「多生の縁」と「うろうろする」の2つの言葉をとりあげましたが、後で『あれは面白かった』とか『あんなこと
知らなかった』などさまざまな意見をいただきました。
 私たちの周りのあらゆる事象は時代の推移と共に変化します。ものによっては進化したり、あるいは退化したり、はたまた同化したりと多様
な形で姿を変えながら存続していきます。いや、中には存続することなく消滅してしまうものも多くあります。
特に言葉の変化については、それが顕著だと言えます。ご存じのように、最近の高校生には、自分たちで新しい言葉を作って楽しんでしまうと
いう傾向も見られます。例えば、彼らに『K・Yな人だ』と言われたら、「空気が読めない人」つまり「その場の状況が分からない気のきかな
い人」ということなのです。流行語とはまた違った使われ方で浸透しているのです。

1.つっけんどん(突慳貪)

 「つっけんどん」とは、突き放したような、つれなく冷たい態度を言いますが、本来は仏教語で「慳貪(けんどん)=ものを惜しんで利欲を
むさぼる」という言葉に、強意の接頭語「突っ」を組み合わせたものです。
 慳貪の「慳」は、財を独り占めにするという意味です。また「貪」は貝(貝も財宝を意味します)に今と書いて、目の前の利益を追い求める
欲望を意味します。
 お釈迦様は、その教えの中で「貪り(むさぼり)と瞋り(いかり)と癡かさ(おろかさ)」を煩悩の業火と言い、この三つの邪心こそがすべての悪業の根源だと説いています。「貪」という言葉は、仏教的には極めて要注意の言葉と言わなければならないのです。

 では、なぜこの「貪」が「つっけんどん」と結びついたかと言うと・・・。
 江戸時代に酒やめしやうどんを盛り切り一杯で格安に売る店がありました。その店はサービスも愛想もないことから、「もうけ主義の店」の
意味で「けんどん屋」と呼ばれたそうです。
 仏教用語を商業用語に活用してしまった江戸時代の庶民のユーモラスにして巧みな言語感覚と言えます。
 その後、この「けんどん」にツっ走るとかツっ通すなどのように、語気を強めたり、荒げたりする接頭語の「ツっ」を組み合わせ、意味的な
ニュアンスは多少変わりながらも、現代の生活用語に生きているのです。

2.つまはじき(爪弾き)

 気に入らない人をのけものにすることを「つまはじきにする」と言いますが、これは親指の腹に人差し指を当ててパチンとはじいて音をたて
て邪を祓い清めるという密教の作法からきています。そしてこの作法のことを弾指(たんじ)と言います。
 この作法については平安時代の貴族らも、イヤなことがあった時の縁起直しの行為として、ごく普段から使っていたという記録があります。
 この弾指のやまとことばが「爪弾き」で、もののけや不浄を追い払うことに使われ、転じてイヤな人や嫌いな者を排除する意味で使うように
なったのです。

 つまはじき即ちいじめのようなイメージで、今ではいい言葉ではありません。
 曹洞宗では道元禅師の教えに従い、東司(トイレ)に入る時には、必ず弾指をします。
ご不浄といわれるトイレを使う前に「不浄を清めてから用便をしなさい」という教えなのです。
 ですから、本山の修行僧は弾指ができないとトイレに入れないのです。(と言うのは冗談ですが)
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覚王寺だより
第62号
平成21年4月15日(水)
■「因果応報(いんがおうほう)」は必然の道理です■
 因果応報とは「過去の行為が原因となって、後からそれに応じた報いや結果が生じる」ということです。
 仏教では「善因楽果(ぜんいんらくか)」と「悪因苦果(あくいんくか)」の二通りの因果応報があると教えています。
 善行を積む人生を心がけていくと、後に必ずや楽しさや喜びに巡り合うことができるというのが「善因楽果」です。
 一方、悪行や偽りの行為を続けていると、後でどうにも避けられない辛い苦しみにおちいることになると説くのが「悪因苦果」です。

 この二通りがありますが、今の世の中で「因果応報」と言う時には、「悪因苦果」をさす場合が一般的です。
 そして、仏教では「因果応報」の因、つまり原因をなす行為は身、口、意(しん、く、い)の三業(さんごう)即ち身体、言語、思考という三つの手段であると教えています。その上で、身、口、意の三業を私たちの日常生活に於いて最も注意すべきものと位置づけているのです。

 暴力という身体的な行為によって誰かに被害を与えれば、これに対しいつか必ず誰かから同様の報復を受けるのは必定です。他人に傷みを及ぼしておいて、自分は何の報復も受けないことはあり得ないのです。これは多くの歴史的事実が語っているところです。
 また言葉というのもくせものです。特に、他人の悪口や陰口などは最も注意しなければならない行為です。他人の噂話が好きで、いろいろなところで根拠のない話を事実かの如くにしゃべってしまう人がいます。しかし、昔から「噂をすれば影がさす」と言い、噂をしていると案外、本人がすぐそばびいるものだと噂話をたしなめているのです。
 大体、他人の悪口などを言う人は、どこかで自分が誰かに悪口を言われていることが多いものです。ただ悲しいかな、自分はそういうことに気づかないでいるのです。これなども「悪因苦果」の典型です。

 三業の最後の「意」つまり「思う・考える」ということですが、これは現象として見えない心の中の行為です。
 それでも、もしそれが自分や他人を危めるようなことだったら、それはいけないことなのです。つまり、相手の不幸を願ったり、誰かの失敗を期待することを考えてはダメだと言っているのです。
とにかく仏教においては「身・口・意による誤った行為は、後に必ずや苦悩となって自分の身にふりかかるぞ」と厳しくたしなめているのです。

 ところで、先日、北朝鮮は世界の国々の忠告を無視して、ミサイルを発射しました。日本の政府もさんざん振り回されましたが、あの北朝鮮に対しても、いずれ「悪因苦果」という報復の鉄槌が下されるだろうと思います。
 国際世論を無視したあれだけの勝手な行為を、世界の常識が黙認するはずはないと思うのです。私は平和主義を自認する者ですが、残念ながら北朝鮮は今の国策方針を変えない限り、大きな「因果応報」に自滅するだろうと思います。
 もちろん、そうならないことを祈りますが、これも過去の世界の歴史の展開から予想するに、極めて難しい気がするのですが。
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覚王寺だより
第63号
平成21年5月1日(金)
■1.工事車輌用の通路を作ります■

 現在、檀家の皆さんの墓地の造成や改修の工事のため、大型の車輌が庫裏の前を通って出入りしています。そして重い石材などを積んだ運搬車が参道を横切って墓地へ向かいます。そのため、どうしても参道を傷めやすく、すでに何箇所も削れてしまっている状態です。

 そこで、護持会の役員さん方にお諮りして協議して頂だき、墓地の西の端(現在、花やゴミを捨てている場所)に通路を作ることになりました。 消防用の車が入っている建物の横から墓地の方へ上がる坂道を作り、工事用の車輌の出入り口にする計画です。
 工事は高野工務店さんに請け負っていただくこととなり、すでに先日NTTに依頼して、障害になっていた電話用電柱の移動を済ませました。
 護持会としては、昨年の墓地通路の舗装の実施で、会費は目下底をついております。
 しかし、高野工務店さんのご好意で、予算の無い中で工事を前倒しで始めていただくことになり、早ければ5月半ごろから整地に入る予定です。
 なお、この工事のためには、墓地の造成に関わっている石材業者の方々にも志納金という形で工事費用への協力をお願いしております。
 檀家の皆さんや業者の方々に支えられながら覚王寺が徐々に整備されていくことに、住職として心からお礼を申し上げます。

■2.「第2回 ミニコンサート in 禅寺」を行います■

 昨年のコンサートに続いて、今年も覚王寺の本堂を会場にして、コンサートを開催いたします。
 日時は5月17日(日)午後3時からで、約1時間30分で行う予定です。もちろん、入場は無料で、途中の入退場も自由です。
 今年は、サブタイトルを「歌の集い」として、参加の皆さん方にいっしょに歌っていただくことを中心に計画しております。
 仁田悦朗先生が編曲した伴奏に合わせて、みんなで歌っていただくという趣向です。
 誰もが知っている懐かしい曲がほとんどですので、いっしょに楽しんでもらえると思います。
 人は誰でも声を出して唄う時、その歌の情景の中に自分を置くことができます。まして、歌の内容が自分の過去の経験と重なるような時には、涙さえ流れることがあります。
 これが感情のときめきを刺激する歌のもつ素晴らしい力だと言えます。今回のコンサートの30曲の中にも、皆さんの心をゆさぶる「思い出の歌」が必ずあると思います。

 5月17日(日)、皆さんのご来場をお待ちしております。

※駐車場がせまいので、できましたら徒歩や相乗りできていただくようお願いします。
※たくさん唄いますから、飲み物など持参されるとよろしいと思います。
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覚王寺だより
第64号
平成21年5月15日(金)

■道元の「八大人覚(はちだいじんかく)」について その1■

 曹洞宗の開祖、道元禅師は1253年(建長5年)8月28日、54歳で入滅(死亡)しました。
 その前年の10月末、死期を悟った道元は最後の説法として「八大人覚」を説いたのでした。その声は永平寺の堂内に力強く響き、聴き入る弟子たちの胸を打ったと言われます。
「八大人覚」とは

一、小欲(しょうよく) 
二、知足(ちそく) 
三、楽寂静(ぎょうじゃくじょう) 
四、勤精進(ごんしょうじん) 
五、不忘念(ふもうねん) 
六、修禅定(しゅぜんじょう) 
七、修智恵(しゅうちえ) 
八、不戯論(ふけろん)

の八つの教えです。
 これらの教えは750年前の永平寺で修行していた僧侶に対してばかりでなく、現代に生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれるものです。
 私たちの生き方と関連づけながら、それぞれについて考えてみたいと思います。

1.「小欲」とは「欲を持ちすぎない」ということです。
  あたりまえのことですが、私たちは「もっと長生きをしたい」とか「もっとお金持ちになりたい」などとさまざまな願望をもって生きています。
  これは、生きる支え、あるいは意欲づけとしては極めて大切なものであります。
  しかし、そうした欲が多すぎると、逆に苦しみや悩みを抱えることにもなります。
  道元は「未来に対して欲をたくさん持ち過ぎると、苦しみや悩みがふえて安らかな生き方ができなくなる」と説いています。
  つまるところは、そのバランスが肝心ということでしょうか。

2.「知足」とは「今に満足する」ということです。
  意味の上では「小欲」と似ているように思われますが、道元は小欲を「将来に対して欲望をもつこと」と言い、知足は「これまでに得たことに
  満足すること」と言って明確に区別しています。
  「好きな人に出会えて、家族もでき、健康でこの歳まで生きられた。今もどうにか三食無事に食べることができている」とすれば、これ以上の
  幸福は無いわけです。
  ところが、自分よりもいくらか恵まれた生活をしている人を見ては、自分の人生に悔いや不満を感じてしまうところが私たちの贅沢な心です。
  広い世の中、上を見ればきりがないのであって、逆に自分よりもずっと恵まれない生活をしている人たちが沢山いるんだということに気づかな
  ければならないのです。
  道元は、「今までの人生の何か一つにでも満足して感謝すれば、心はすぐに安らかになる」と言っております。
  多生の波風はあっても、誰の人生も振り返ってみれば「案外いい人生」なのかも知れません。

3.「楽寂静」とは「一人静かな時や場所を持ちなさい(楽しみなさい)」ということです。
  複雑な人間社会に生きる私たちは、その人間関係のわずらわしさに自分を見失うことがしばしばあります。
  そんな時には、世の中の雑音を離れて静かな所に行って、自分が生きていることをしみじみと味わうことが大事なのです。
  静かな時間を楽しんでいると、自分がしゃくに障ったり、頭に血を上らせたりして悩み苦しんでいたことがいつの間にかスーッと消えていくもの
  です。
  覚王寺の坐禅会に参加される方々も「静かに自分を見つめる」という時間を求めて来るようです。
  是非、坐禅会で「楽寂静」の世界を味わってみて下さい。
  「八大人覚」の続きは、またの機会にとり上げます。
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覚王寺だより
第65号
平成21年6月1日(月)

■日馬富士の初優勝に思う■
 大相撲夏場所は、千秋楽14勝1敗で並んだ横綱白鵬と大関日馬富士が優勝決定戦を行い、日馬富士が下手投げで白鵬を倒して、悲願の初優勝を成し遂げました。
 体重126kgの日馬富士は、今の幕内力士の中では最軽量です。
 9年前、16歳の時モンゴルでスカウトされ、日本の相撲界に入ったときの体重は80kgそこそこだったそうです。
 ごく普通の少年だったわけですが、「体が小さいのだから、気力で負けたらとても勝てない」という親方(元横綱旭富士)の方針で、1日50番以上の猛稽古で技と攻めのスピードを磨いたそうです。
 私は日馬富士が安馬(あま)のしこ名で幕内に上がってきた頃のことをよく覚えています。
 とにかく目立って細い体でしたが、攻めが速く、やたら足腰のしぶとい力士だなあという感じでした。
 しかし、まさかこんなに早く大関になるなんて思いませんでした。茨城(牛久市)出身の稀勢の里の方がよっぽど早く大関に上がるだろうと思っていたのですが、稀勢の里はまだ前頭でモタモタしています。(今場所は13勝2敗で敢闘賞をとりましたが)
 
 それにしても、大相撲は日本の国技と言いながら、現在の力士の顔ぶれから見るとあまりにも国際色が豊かです。
 特に朝青龍を筆頭とするモンゴル出身の力士達の勢いはすごいものがあります。夏場所の番付でみると、東西の横綱から前頭16枚目までの全力士42人のうち、外人力士が14人、うちモンゴル人が8人です。特に上位の方は外人ばかりで、日本人力士はほんの数えるほどです。
どうしてこうなってしまったのでしょうか。

 よく言われることですが、外人力士のハングリー精神が日本人力士よりもズバ抜けているということがあるようです。
 豊里中学校出身の弓取りの男女の里(みなのさと)の話では、日本人力士の中には稽古がちょっと辛いとか部屋の中での人間関係がガマンできないと、すぐに廃業して実家へ帰ってしまう者が多いそうです。
 ところが遠く離れた異国から「郷土の代表」として見送られて、日本の相撲界に飛び込んできた外国人力士には、そんな甘えはみじんも無いそうです。
必死で稽古をし出世してお金をかせぐという目標に向かって、けんめいの努力をするのだそうです。
 昔、大横綱初代若乃花は「土俵の中に金がある」と言って、他人の三倍もの稽古をしたと言われていまが、そんな激しい気性を持った日本人力士が少なくなってしまったようです。
 私は国技館の観客はもとより、テレビの前のファンも一番熱狂するのは日本人力士同士の優勝争いだと思います。
 大相撲の人気を高めるならば、まず日本人力士がモンゴル勢の中に割って入って、優勝することです。
 というわけで「がんばれ――稀勢の里!!」


      ※去る17日の「ミニコンサート in 禅寺」にはたくさんの皆さんのご来場をいただき、ありがとうございました。
       今回は、皆さんにいっしょに歌っていただくという「歌声喫茶」的なスタイルをとりましたが、皆さんの協力で元気な歌声が
       本堂いっぱいに響きました。
       後日、感謝のハガキや来年への要望などのメールをいただき、一同大変励まされました。
       我々の方こそ、感謝申し上げますと共に、来年度以降も続けていこうと心を新たに致しました。ありがとうございました。 
                                                 〈英、仁田、中山、坂口、倉持〉
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覚王寺だより
第66号
平成21年7月1日(水)

■道元の「八大人覚(はちだいじんかく)」について その2■
 64号で「小欲」「知足」「楽寂静」の3つの教えについて考えました。今回はその続きの教えについて考えてみたいと思います。

4.勤精進(ごんしょうじん)
  「精進」の精は、純粋一筋の意味であり、進は一歩も退かないで進むということです。
  ですから「勤精進」とは「つねに自分の目標に向かって一心に怠ることなく努力し続けなさい」という教えになります。
  道元は、精進し、努力を重ねていく時のあり方を「少水の常に流るればよく石を穿つが如し」と喩えて説いております。
  少水とは、ポツポツと落ちる水のことで、滴水とも言いますが、ポツポツでも絶えることなく落ちていると、いつかは石にも穴をあけるということ
  です。
  私たちも何か一つのことに向かって継続的に地道な努力を続ければ、予想以上の大きなことが為し遂げられるのかも知れません。

5.不忘念(ふもうねん)
  不忘念の念とは、「正念=しょうねん」のことです。この正念を忘れてならないというのが、不忘念の教えです。
  では正念とは何かと言いますと、「自分の命の根源は宇宙から授かったものだということを自覚すること」です。哲学者や宗教家によっては、
  道元の宇宙観は極めて難解だという人もおります。
  しかし、私はむしろ単純にとらえて「すべてのものごとをあるがままにとらえようとする考え」が道元の宇宙観の基本的なスタンスではないかと
  思います。
  道元はその教えの中で、「あるがまま」という言葉をしばしば用いています。
  ものごとを「あるがまま」に見るには、子どものようにけがれのない無心な気持ちが必要です。
  その気持ちは「無邪気」と表現してもよいと思います。この無心な気持ちを、私たちは年を重ね人生経験を積むに従って失ってしまいます。
  やはり幾つになっても、どんな立場についても、自他をあるがままに素直に受け入れる気持ちを忘れないことが大事だと思います。

6.修禅定(しゅぜんじょう)
  禅定とは「心身共に動揺することなく、安心・安定した状態を体得すること」です。
  平安時代中期の高僧、源信(恵心僧都)はその浄土教典「往生要集」の中で、厳しい密教的修行の到達点の状況を「心中歓喜し、心身安楽なること
  禅定に入るが如し」と書いております。
  つまり禅定を修めるとは、「何ごとにも揺るがない確かな心の安定を得る」ということです。
  今のように不景気で、生活が安定しない世の中では、ともするとそうした世情に流されて付和雷同的に浮き足立つかも知れません。
  しかし、そんな状態にあってもなお、自己をじっくり見つめ、むやみに周囲の動きに流されない生き方に努めることが肝心なのです。
  修禅定の教えるところは、このあたりにあると思います。

 今のような時代だからこそ、道元の教えは私たちに適切な示唆を与えてくれているように思います。
 「八大人覚」は難しい教えですが、私の考えも交えながらできるだけみなさんにもわかりやすくまとめております。
 是非、ご自身の日常生活に照らし合わせながらいっしょに考えてみて下さい。
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覚王寺だより
第67号
平成21年7月15日(水)

■1.祇園祭が近づきました■
 今年も今月25日(土)、26日(日)の2日間、恒例の花室祇園祭が行われます。
 花室には地区民から「五穀豊穣、無病息災」祈願の対象として八坂神社があります。
 祭りはこの八坂神社に対し、一年間の無事を感謝し、さらにこれからの繁栄を祈願する気持ちをみんなで表す、年に一回の行事です。
 
 お祭りの形態も時代の流れと共に、ずいぶん変化してきました。お祭りの主役もかつては青年会の人達でしたが、青年会の組織が姿を消すと共に、子ども会にその役割が委ねられてきました。祭りを引き立てるおはやしも子どもおはやし会の小・中・高校生が引き継いでおります。
 勿論、おはやし会の世話人の方々、指導してくれるお囃子保存会の方々の協力があって成り立っていることは言うまでもありません。
この方々のボランティア的な尽力がなければ、伝統的なお囃子を子ども達に引き継ぐこともできないし、祭りそのものが味気ないものになっていただろうと思います。
 お囃子に限らず、伝統的なものを途絶えさせるのはいたって簡単ですが、続けていくということには、大変な努力を要します。
 その意味からも、私達は地域住民の一人として、伝統行事の存続に側面から協力する必要があると思います。

■2.「花室小唄」を踊りましょう■
 祇園の一日目、おみこしが研修センターにおさまった頃、今年もみんなで「花室小唄」を踊る計画を立てました。
 昨年は初めての試みということもあって、十分な出来映えになりませんでしたが、今年は昨年の反省にもとづいて取り組みたいと思います。
 中島先生に指導してもらいますが、踊りの振りも誰にでもすぐに踊れるやさしいものを考えてもらっております。ですから、練習にはそれほど時間をかけないで、本番を迎えられると思います。
 その上で、次のように練習日時を設けました。
   7月16日(木) 午後6時30分~7時30分
   7月18日(土) 午後1時30分~3時
   7月22日(水) 午後6時30分~7時30分
 以上3回、すべて花室研修センターで練習します。
 ちょっと忙しい時間とは思いますが、子どもさんあるいはお孫さんといっしょに練習に来てみて下さい。




















覚王寺だより
第68号
平成21年8月1日(土)

■「薬師さま」について■
 8月11日(火)は、覚王寺恒例の薬師万灯(薬師さま)です。
 当日は、今年も石段から薬師堂までろうそくの明かりで花道を飾る予定です。昨年は約200本のろうそくを竹の筒の中に灯しましたが、今年はもう少し数をふやして、バージョンアップするつもりです。
 暗くなるにつれ、かすかにゆらめきながら連なるろうそくの光は、実に幻想的な雰囲気をかもし出します。
 午後6時30分頃にろうそくに点火して皆さんをお迎えしたいと思います。是非、暗くなってからお参りに来られることをおすすめします。

 覚王寺の薬師如来は、ふだんは本堂の中に納めてありますが、当日は薬師堂に安置して皆さんに拝んでいただきます。
 薬師如来は正式の名称を薬師琉璃光如来と言い、現世に於いて病に苦しむ人々を救う霊力を持つとされています。
 我国に於ける薬師如来の信仰は、用明天皇が病に臥した時に、息子の聖徳太子が法隆寺金堂に薬師如来像を造って病気の平癒を祈願したことに始まるといわれます。その後も、天武天皇と持統天皇による奈良薬師寺の建立など、皇族達が病の回復を祈る対象仏として信仰を集めていきました。
 その後、庶民の間でも信仰が広まるのですが、徐々に病の中でも眼病に霊験あらたかであると解釈されるようになります。
 覚王寺の薬師堂にも「め」と書いた古い絵馬がたくさんかけてあります。これなども医学が未発達であった時代に庶民が薬師如来の力にすがった様子を示すものと言えます。
 
 覚王寺の薬師如来は「行基の作」と伝えられていますが、詳しくは分かっていません。
 ただのっぺりと面長な顔立ちは、どことなく法隆寺の百済観音や釈迦三尊像を思わせるものがあります。
 素朴な造りの中にも品格の漂う仏さまですので、一度ゆっくり拝んでほしいと思います。
 そして、老人会の方が淹れて下さるお茶を飲みながら、夏の夜のひと時を楽しんで下さい。
〈連絡〉
  1.8月13日からのお盆では、何かとお世話になります。棚経の計画を護持会の役員さんから案内していただきます。よろしくお願いします。
  2.次回の「覚王寺だより」は9月1日に発行いたします。
























覚王寺だより
第69号
平成21年9月1日(火)

■1.お盆(棚経)お世話になりました■
 8月13日の迎えから16日の送りまでの4日間、今年も厳しい暑さの中で盆の行事が行われました。
 護持会の役員さんには、棚経の連絡や施餓鬼への参列など、何かと協力をいただきありがとうございました。
 また、お盆に先立つ11日の万灯法要も静かな闇にゆらめくろうそくが幻想的な中で中で行うことができました。
 前回の覚王寺だよりで紹介しました「薬師如来」を拝観していただいたでしょうか。
 老人会の皆さんには、例年のように接待係をつとめていただきました。夜遅くまで大変お世話さまになりました。
 今年も猛暑のお盆でした。私も倅達も、汗をかきながら檀家さんを訪ねた時、「暑いのにごくろうさまです。」とかけられた一言がどんなに有難いことでしょうか。先を急ぐあまり、出された飲み物に手をつけずに失礼することもありましたが、どうかご容赦下さい。ありがとうございました。
■2.墓地への供え物などの扱いについて(お願い)■
 檀家の皆様ご存知のように、現在、墓地の西のはずれに工事用車両のための通路を造っております。そのため、これまでのように墓地への供え物やゴミなどを捨てることを遠慮してもらうことに致しました。
 覚王寺の檀家さんの方々には、「墓地にお供えしたものは家へは持ち帰らない」という従来からの考えや慣わしがあり、家庭の盆棚に供えたものも墓地に持ってくるという傾向がありました。
 それは、まだ土葬が行われていた頃に、先祖に供えたものは先祖が眠る土に戻すという考えからきていたものです。
 しかし、多くの墓地がカロート式の石塔造りになった今、お墓に供えたものはなかなか腐食しません。まして缶やビンの飲み物類は、そのままあげておけばいつまでもそのままです。
 他のお寺さんの状況を聞いても、墓地への供え物やゴミの処理については、相当に明確な規則を決めて墓地の美化にあたっているようです。
 それで、覚王寺としても墓地への供え物やゴミの扱いについて次のように決めさせていただきますので、よろしくご協力をお願いします。
  (1)仏花などを包んできたビニールや新聞紙は必ず持ち帰る。
  (2)古くなったプラスチックの花立ては、家庭に持ち帰って燃えるゴミとして処理する。
  (3)缶やビンの飲み物は、中味を墓地にかけるなどして、缶・ビンは自宅に持ち帰る。
  (4)墓地の掃除で出た雑草やゴミ類は、燃えるゴミ用の袋に入れて自宅に持ち帰る。
  (5)線香をつけるために使ったライターも持ち帰る。

 以上のことがらについて、ご協力をお願いします。
 中でも、(4)の雑草・ゴミ類の持ち帰りは大変だと思いますが、まめにお参りすることで解決ができると思います。げんに、自分のお墓の掃除で出た雑草類は必ず持ち帰って下さっている方々が何人もおりますことをご理解の上、ご協力をお願いします。





















覚王寺だより
第70号
平成21年9月15日(火)

■お通夜の意義について■
 しばらく前になりますが、ある檀家さんでお葬式になった時、当家から葬儀屋さんを通して「お通夜はやった方が良いのですか。」と聞かれたことがありました。
 私は、喪主の方がサラリーマンで平日の葬儀ということから、「弔問の方のことを考えれば、お通夜をやってあげた方が良いのではないでしょうか」と答えまし
た。
 現在のように葬儀への参列とはいえ、平日に会社を休むこともままならない状況の中では、せめて退勤後にお通夜に参列して当家に挨拶し、義理をはたしたいと
いう方も多いようです。
 お通夜は本来、遺族や故人と縁の深い人達がありし日の故人をしみじみとしのび、その冥福を祈りながら別れを惜しむ儀式です。
 
 このような形で故人との別れを行うのは、今を去る約2500年前に釈尊(お釈迦さま)が亡くなった時の故事によると言われます。お釈迦さまはインドの北部の
クシナガラという所で80歳の生涯を終えます。その時すでに体調を崩していた釈迦の周りには、大勢の弟子達が心配して集まっておりました。
 釈迦は、その弟子達に遺言ともいうべき教え(仏遺教=ぶつゆいきょう、という経典になっています)を説き、「友よ、私には永遠の安らぎに入る時が来た。
友よ、私の最後を黙して見守り、無常を観ぜよ」と言って息をひきとったのでした。
 この夜、弟子達は夜通し釈尊を見守りながら、その教えの深さをかみしめたのでした。そして、この故事にならってお通夜を営むという慣わしが始まったと言わ
れるのです。

 では現代の私達は、どのような気持ちでお通夜に臨めば良いのでしょうか。
 何より大事なことは、人の死という現実を心に受けとめることで、この世の「無常」を確認することです。「無常」とは文字通り、常に無いこと、つまり人の
生存を含め、私達がこの世で目にする全てのものは、うつろいゆき、いずれは滅するものだと考えることです。
 故人は死をもって無言のうちに、私達に「無常」の説法を説いてくれました。
私達はその説法を受け容れ、同時に故人との一切のこだわりを捨てる必要があります。
つまり、たとえ生前の故人との間に何らかのいさかいがあったとしても、それは懺悔文(さんげもん)を唱えることで許し合わなければならないのです。
 このように、故人との関わりを振り返り、自分の人生に於いて「故人はどんな存在だったのか」を確認することで一つのけじめをつけるのも、お通夜のねらい
だと言えます。
 翌日の葬儀では故人は仏としての御名である戒名を受け、僧侶からの引導によってあの世への歩みを始めるのです。
※懺悔文
    がしゃくしょぞうしょあくごう   かいゆうむしとんじんち    じゅうしんくいししょじょう    いっさいがこんかいさんげ
    我昔所造諸悪業      皆由無始貪瞋癡     従身口意之所生      一切我今皆懺悔





















覚王寺だより
第71号
平成21年10月1日(木)

■あらためて知ったO・N(王と長嶋)の魅力■

 9月20日と27日の2回にわたって、NHKスペシャルで「O・Nの時代」という番組がありました。
 昭和33年(1958年)に長嶋茂雄が巨人軍に入団し、その翌年(1959年)に王貞治が入団しましたので、いわゆるO・Nがそろってから今年は50年目になります。
 そういう節目の年を記念して企画された番組でもありました。
 
 20日の1回目の放送は、おもにO・Nの現役時代の活躍ぶりをO・N二人の対談や回想を交えながら映像記録で振り返るものでした。
 六大学野球のスターからプロ入りし、天才バッターと言われた長嶋が、実は誰もいない所でものすごい量の練習をしていたことが、彼の実像を知る多くの野球
関係者の証言で明らかにされました。そのことに対し、長嶋が「プロは必死で練習している姿をファンに見せるものじゃない」と平然と言ったのが印象的でした。

 一方、王は早稲田実業高校のエースから鳴り物入りで入団しましたが、意外にも彼は練習嫌いで先輩達からもずいぶん叱られたそうです。
 そんな王がバッティングコーチの荒川博から一本足打法という極端な体重移動による長距離打法の指導を受け、これまた想像を絶する努力の末に世界に誇るホームラン王に成長したのです。
 O・Nともスーパースターというファンからの期待にこたえ続けるために、つねに他人の倍も3倍もの練習をしていたことをあらためて知らされた一時間でした。
 
 27日の2回目の放送では、O・Nの現役引退後の様子について描かれていました。
 つねに脚光を浴び続けた現役時代と違い、監督になってからは指揮官ならではの挫折と苦悩、その果てにつかみとる栄光、さらのよもやの病との闘いなど、O・N
には驚くほどの共通点があります。
 長嶋は5年前に脳梗塞に倒れ、王も昨年、胃ガンで胃の全摘手術を受けました。
 長嶋は今も必死のリハビリに励んでおり、その姿は現役時代の颯爽としたミスタージャイアンツを知る者にとっては胸が痛むものがあります。
 しかし長嶋は「自分がこうして頑張っていることを見てもらって、何人かの人を励ますことになれば良いかな、と思ってマスコミにも出るんですよ。」と笑顔で語りました。
 その言葉は後遺症のためにまだ流暢ではありませんが、前向きに生きようとする力強さは十二分に伝わってきました。
 番組の最後に交通事故のために右半身が不自由になった40代の男性が登場しました。彼は事故の後、しばらくの間将来を悲観し、自暴自棄ば状態が続いたそうです。そんなある時、テレビで長嶋が懸命にリハビリに取り組む姿を見て「頭を思いっきりなぐられた気がした」のだそうです。「あのミスタージャイアンツが汗まみれになってリハビリに励んでいるのに、自分はなんていくじがないんだ。自分も頑張ってリハビリをやろう」と決意したと言いました。
さらに「長嶋さんは私にとってスター(星)はスターでも北極星なんです。いつも同じ所で力強く輝いて自分を励ましてくれているんです」とも言いました。
 
 私達、団塊の世代はO・Nという不世出のプロ野球選手の活躍を見ながら育ち、彼らが監督として苦悩の末に栄光をつかむ姿を自らの人生の指針として生きてきま
した。
 今回の放送を見て、私は王・長嶋が人間として今もなお自分を高めようとしている姿に求道者の姿を見、魅力を超えて一種の敬意の念を抱いたのでした。

























覚王寺だより
第72号
平成21年10月15日(木)

■よく噛むことの効果■
 しばらく前の読売新聞の「食」というシリーズで、よく噛んで食べることによるさまざまな効果が説明されていました。檀家の皆さんの中にも、興味をもって読まれた方もあるかと思います。
 その中で私は、102歳の今もなお福岡市にある社会福祉法人「しいのみ学園」の園長を勤める、昇地(しょうち)三郎さんについての記事に関心を持ちました。
 昇地さんは、現在も幼児教育や障害児教育の専門家として、国内はもとより欧米諸国からも講師を依頼され、まさに世界を飛び回る日々を送っているのです。
 幼児期の昇地さんは虚弱体質で病気がちだったため、心配した母親から「食べ物は30回噛みなさい」と口うるさく指導されました。学生の頃は「人が6杯食べる間に3杯しか食べられないほど遅かった」と言います。
 しかし、結果としてこの「しっかり噛む」という行為が、昇地さんの健康と長寿を招いたのです。
 よく噛めば脳の満腹中枢が刺激されて、少量の食事でも満足できるため、摂取カロリーは低くなります。カロリー過多を防ぐことは肥満やそれに伴う成人病の予防につながります。即ち、健康と長寿につながるというわけです。昇地さんは、この典型的な例と言えます。
 
 現在の食生活は、量・質ともにかつてとは比較にならないほど飽食化しております。今から30年ぐらい前までは、成人病などという病名は聞かれませんでしたし、小学校でも肥満児などはごくまれな存在でした。
 ところが今や、子どもから大人まで自己コントロールせずに好きなものを好きなだけ食べる習慣が身についてしまいました。
 ある学者が「食べ物に好き嫌いを言う人は、好き嫌いを言ってられない状況を知らない人だ」と言ったのを聞いたことがあります。さらに「粗食の中で育った人間は身体にムダがなく、芯から強い」とも言っておりました。
 今や日常の食生活の中では「粗食」などという言葉は死語になってしまった感があります。かつて私が学校に勤めていた頃、ある女の先生が自分のクラスの子ども達に「よく噛む」の語呂合わせで「4×9かむ」で「36回噛みなさい」と指導していました。
 時々そのことを思い出して私も回数を数えながら噛んでみますが、日頃のくせからか20回も噛まないうちにのどを通ってしまいます。しかし、よく噛むことは胃の消化を助けるし、「味わう」という食感を養うことは間違いありません。
 
 経済大国化した我国は、「空腹を満たす」という食事のあり方は十分にクリアーしたと言えます。
 これからは身体のために良い食事のあり方を考える必要があります。
 昇地さんは「好き嫌いをせず」に「よく噛んで食べる」という食事法で102歳の今も元気で世界を飛び回っています。
 食という毎日の不可欠な行為の中にある極めて簡単な健康法が、驚くばかりの長寿を生むという効果を私達も素直に習ってみたいと思います。

























覚王寺だより
第73号
平成21年11月11日(日)
■「色即是空(しきそくぜくう)」とは■
 あまり仏教に関心がない方でも「般若心経(はんにゃしんぎょう)」というお経があることぐらいはご存知かと思います。
 正式には「摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)」と言い、全文276文字という短いお経です。
 この276文字の中で一番多く使われている文字が「無」で21回、次が「不」で9回、その次が「空」で7回です。この三文字は意味的にも似たところがありますが、
特に「空」は般若心経の教えそのものを示していると言われます。ですから有名な高僧が色紙などに好んで「空」の字を書くのも、仏教のエキスを指す文字だからだと言えます。

 この般若心経の中に「色即是空、空即是色」という般若心経を代表するとも言える有名な言葉があります。
 「色」とは、この世に存在するもの、言い換えれば形あるもののことであり、壊れるものとか変化するものという意味を持ちます。
 また「空」とは何も無い状態のことであり、プラスでもマイナスでもない、いわばゼロの状態をさし、「無」と同じ意味とも言えます。
 従って「色即是空」は「形あるものは無に等しい」というように解釈できるのです。

 では、「形あるものは無に等しい」とはどういうことなのでしょう。
 例えば、ここに人もうらやむような鉄筋コンクリート造りの豪華な家があったとします。
家の持ち主は「すごい家だろう」と自慢し、回りの人は「立派な家だなあ」と羨望の気持ちで眺めます。
しかし、どんな素晴らしい豪邸と言えども、建てた瞬間からどんどん老朽化していくのです。
鉄筋コンクリート造りの丈夫な建物であっても、法的耐用年数は60年です。100年たてば建物はボロボロになって住むことができなくなってしまうでしょう。

 またここに、誰もが認める若い絶世の美女がいたとします。彼女を見て男達は心をときめかせ、女性達は嫉妬心を抱きます。
しかし、その美女と言えども、40歳をすぎ50歳をすぎると、その美貌にはかげりが見え始めます。
 もしその美女がいつも謙虚でしとやかで、心優しい人であれば、例え老いたりと言えども、その心の美しさは人をひきつけるでしょう。だが、そういう心の持ち主でなければ、人々は誰も見向きもしなくなると思います。

 つまり、どんな立派なものでも、美しいものでも、形あるものはいずれは壊れたり崩れたり、消滅したりするのです。そういう事実に対して、きちんと見極める目を持つことが大事なのです。表面的な現象にむやみにあこがれたり、うらやんだり、あるいはとらわれたりしてはいけないのです。
 
 我々人間の生命も含めて、この世のすべてのものは常に変化し、そしていずれは消滅するという絶対的な原理は、どんなに科学が進歩しても否定できません。
 数千年前の経典に述べられた「色即是空」の四文字は、この人類普遍の原理を現代の私達に教えているように思います。























覚王寺だより
第74号
平成21年11月15日(日)
■年をとって女性にもてる5つの条件■
 神奈川県藤沢市にある湘南長寿園病院の院長を勤める医学博士、フレディ松川先生が書いた「60歳でボケる人、80歳でボケない人」という本を読みました。
 その中に、多くの高齢の患者を診てきた松川先生が自信をもってとりあげる「年をとって女性にもてる5つの条件」というものがありましたので、紹介します。

(1)「知性」にあふれている人
 これは東大を出ているとか、中学卒だとかの学歴には全く関係なく、いわゆる「教養」があるということです。
教養とは、自分の本職以外のことについても広く知っていることで、長い人生経験の中で得た知識を系統立てて語ることのできる能力と言えます。

(2)「ウィット」と「ユーモア」のセンスがある人
 松川先生は「最近の若い女性にどんなタイプの男性が好きか?と訊くと、おもしろい人とか楽しい人と答えるケースが増えてきた」と言い、お年寄りの場合
でも「暗いタイプの人」よりも「明るくておもしろい人」の方が当然ながら女性に人気があると書いています。
それもただ馬鹿なことを言って笑わせるのではなく、年齢を重ねた者ならではの「知的ユーモア」のある人こそ、女性をひきつけると言ってます。

(3)「おこづかい」に余裕のある人
 やっぱり女性にもてるためには、ある程度のお金が必要なんでしょうか。しかし、札束で女性の気持ちを釣るというような邪しい軍資金ではないと思います。
 松川先生の言う「おこづかい」とは女性にもてるためというより、男として当たり前のつき合いを維持していけるだけのお金という意味だと思います。
いつもケチケチしていて、男同士のつき合いもできない人は、当然女性にもてるわけはないのです。勝川先生はそれを指して言ったのだと考えられます。

(4)スポーツや趣味を続けている人
 高齢になってもゴルフやテニスあるいは釣りや油絵など、とにかく何か自分の生活の中にスポーツや趣味の時間を取り入れて楽しんでいる人は「かっこよく」
見られるものです。
よく「年を感じさせない」と言われる人がいますが、そういう人は感じさせないだけの日頃からの精進をしています。
そして、その精進の原動力は「いつも目標を持っている」という姿勢だと思うのです。

(5)「ありがとう」を素直に口に出して言える人
 「感謝の気持ち」を表現するのに最もふさわしい日本語は、何と言っても「ありがとう」です。
心の中でどんなに感謝しても、口に出して言わなければ相手には通じません。
 「ありがとう」の言葉は年をとって人の手を借りる立場になった時こそ言うべき言葉です。
しかし、これもふだんから折に触れて口にしていなければ簡単には言えないものです。
これから高齢に向かう人も含めて、年をとったらどんどん「ありがとう」を言うべきだと松川先生は言っております。

 これらの「女性にもてるための5つの条件」は、とりもなおさず同性(男性)からも「尊敬される条件」であります。
そして、この条件を考えれば「かっこよく年を取る」ということは、案外簡単なことかもしれません。
 松川先生は「80歳を過ぎても元気でかっこいい人は、何よりボケません」と言っています。
私もかっこいいとはいかなくても、明るく元気で高齢に向かいたいと思います。






















覚王寺だより
第75号
平成21年12月1日(火)

■合同供養は「みんなで先祖に感謝をささげる日」です■
 今年も恒例の合同供養が12月13日(日)に行われます。12時30分から受け付け、1時から法要が開始されます。
 いつもながら護持会の役員さん方には、運営のための準備や当日の係りでお世話いただきます。特に、塔婆の申し込みや護持会費のとりまとめでは大変お骨折りをいただきました。
 これまでの歴代の総代さんや護持会の役員さん方のご支援があって、この合同供養は90年以上も絶えることなく続いて参りました。菩提寺と檀家さんが思いを一つにしてこの行事にとりくんできたというすばらしい成果だと思います。
 師走のこの時期は、檀家の皆さんが菩提寺に一堂に集まって、その年のまとめの供養をすることは大変に意義のあることです。
 
 「供養」の意味を漢和辞典で見ますと、①父母などを世話し養うこと、②先祖のみたまに食物をささげること、③衣食などをもって自らを養うこと、などと書いてあります。
 そして仏教的な解釈としては、「仏・法・僧の三宝または先祖の霊に物をささげて感謝すること」と言われています。
 私達には必ず親がおり、祖父母がおり、さらに祖先がおります。逆に言えば、祖先がいたからこそ自分という人間が存在するのです。
 そう考えれば、「この世に自分がいる」ということを祖先に感謝することは、とても大事なことと言えます。そして祖先に感謝する気持ちをもっとも簡単に行動に表すのが、何と言っても「お墓参り」です。

 12月13日の合同供養には、覚王寺に来て読経に耳を傾け、ご本尊に向かって焼香をして下さい。その後、塔婆を受け取ってご先祖の墓にお参りをします。その時、自分が現世に在ることの喜びを先祖に感謝するのです。
 どのお墓からもいっせいに舞い上がる線香の煙は、覚王寺があの世へ送った仏さまへの感謝の想いとなって、天まで届くだろうと思います。

〈ご連絡〉
  ※次回、11月15日号はお休みします。(来年1月に発行いたします)
  ※12月の定例坐禅会は27日(日)午前9時から行います。
   また、大晦日の31日(木)夜10時から年越し坐禅会を行います。



















覚王寺だより
第76号
平成22年1月1日(金)

■平成22年、良い年でありますように■
 平成22年、明けましておめでとうございます。
 檀家の皆様方にはご健勝にて新年をお迎えのことと拝察申し上げます。
 昨年は覚王寺の諸行事にご協力をいただき、ありがとうございました。おかげさまで覚王寺としての各種事業も護持会役員さん方や老人会の皆さんのお力添えのもと、12月の合同供養まで滞りなく終えることが出来ました。深く感謝申し上げます。

 ところで合同供養の焼香の時に読んだお経は、道元禅師の教え「修証義(しゅしょうぎ)」ですが、その中に「人身(にんしん)得ること難し、仏法値うこと希れなり」という教えがあります。
この教えの意味は「何億という生命体が存在するこの世に、人身つまり人間という存在で生まれることは極めて大変なことなのだ。さらに人間として生きる中で仏陀(お釈迦様)の尊い教えに出会えたということは、これまた大変喜ぶべきことなのだ」というものです。

 庭で見かける一匹のアリやミミズも、また空を飛んでいるカラスやハトも一個の生命体としてこの世に生まれ、自然界の中でその存在価値を示す行動をしながら、彼ら(?)なりの生涯を送るのです。しかし、どうがんばっても彼らには仏陀の教えにふれて、より意義のある生き方を努力することは不可能です。
 そう考えると、人間に生まれ、仏教によって自己の規律や自他の尊厳などを学ぶことができる私達は最も崇高な生物であると断言できます。

 最近私は、保護司として関わっている40代後半の男性と「人生の目的とは何だろう」ということを話し合いました。
いろいろ話した末に、彼は結論として「前世で出来なかったことを、この人生でやりとげるために努力することではないか」と言いました。
私は「いい考えだなあ」と素直に感心しました。

 私達は自分の前世が何かは分かりません。科学的には前世そのものが否定されます。それはいずれにしても、精神宗教的に考えれば、前世に於いて完璧な生涯を終えたはずはないので、おそらく出来なかったことややり残したことがあるだろうと思うのです。
 その前世からの課題が今の自分の人生の中に「形が変わって」残っているはずなのです。
 その課題に気づいて日々努力に励む人こそ、「人間に生まれた価値がある人」と言えるのではないでしょうか。

 ところで、私は昨年11月に思いがけず体調を崩しました。たいした病気もせずに63年間生きてきて、初めて知った健康のありがたさでした。と同時に、私の健康を気づかってくれる多くの友人・知人がいることも再認識しました。その心遣いは涙が出るほど嬉しいものでした。
 仏教で、祖先を尊ぶことを教えていますが、祖先を尊ぶことはその延長線上にいる自分自身を尊び、自分の命を大事にすることです。
 私も平成22年は「人間に生まれたことを自覚し、健康に留意して生活しよう」と思います。
この一年、穏やかで良い年でありますことを願うと共に、皆様方のご健康を祈ります。

※「覚王寺だより」も今年は少しスローダウンして、月一回のペースで書かせて頂きます。   
 ご了承下さい。